河原一久

ディレクター,作家,放送作家,映画評論家 。 著書・訳書「スター・ウォーズ論」「ザ・ゴ…

河原一久

ディレクター,作家,放送作家,映画評論家 。 著書・訳書「スター・ウォーズ論」「ザ・ゴッドファーザー」など。「読む寿司」発売以降は食文化系の仕事も増えました(笑)というわけで、「通信文化」(通信文化協会)に「千夜一夜食べ物語」を連載中です。

最近の記事

ようやく鑑賞した「足ながおじさん」が愛すべき作品だったこと

学生時代は正に映画に溺れるような生活を送っていたが、特にMGMミュージカルには魅了されていた。次から次へと貪るように観た。特にジーン・ケリーとフレッド・アステアの映画は欠かさず観るようにしていた。 ただ、アステア主演の「足ながおじさん」だけは観る気になれなかった。 主な理由はアステアの伝記「アステア―ザ・ダンサー」を読んだせいだ。 アステアの私生活は質素なもので、撮影以外の日は妻のフィリスと慎ましい日常を送っていたが、やがて彼女は脳腫瘍に蝕まれる。そして闘病の末、46歳とい

    • 低レベルな「バーベンハイマー騒動」とその対極にある「バービー」という作品の洗練

       本来、作品自体とは全く関係のないことなのだが、日米双方で騒ぎとなってしまったので、露払いの意味も含めて「バーベンハイマー騒動」についてまずは触れようと思う。 そもそもは全米における「バービー」とクリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」が7月21日に公開日が重なり、この2作が「揃って」大ヒットとなったことからネット上で悪ふざけが人気となったことが始まりだった。少女のおもちゃの代表格である「バービー人形」を実写映画化した「バービー」と、「原爆の父」と呼ばれ、

      • 解題:「君たちはどう生きるか」が描いた若者たちに向けた願いとは

         宮崎駿監督が2013年公開の「風立ちぬ」をもって長編映画作品からの引退を表明した時、それまでの一連の作品とはまったく異なる大人向けの内容から、その決断に対して大いに納得したし、同作も氏の最高傑作と呼べる出来映えだったと思っていた。当時の作品のキャッチコピーは「生きねば。」であり、これは劇中では主人公・堀越二郎の妻、菜穂子が夫に対して言う「生きて」という言葉に対応したものだし、作品としての「風立ちぬ」の大テーマでもあった。ただ、多くの観客が、この作品の背景が第2次大戦期の日本

        • 単なる冒険活劇が、どのようにして「インディアナ・ジョーンズ」という名の冒険物語へと昇華していったのか

           すでに伝説と化しているが、1977年の6月にハワイで休暇中だったジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグが共に過ごし、スピルバーグの「007のような映画が作りたい」という思いにルーカスが応える形で「実はこんな企画があってね・・・」と話が進んで…という話は、間違いではないんだけど、スピルバーグが「007のような映画」という言い方をしたのには訳がある。  この頃、007の最新作「私を愛したスパイ」は公開直前だったが、スピルバーグはすでに「007の次回作を監督したい」と立

        ようやく鑑賞した「足ながおじさん」が愛すべき作品だったこと

        • 低レベルな「バーベンハイマー騒動」とその対極にある「バービー」という作品の洗練

        • 解題:「君たちはどう生きるか」が描いた若者たちに向けた願いとは

        • 単なる冒険活劇が、どのようにして「インディアナ・ジョーンズ」という名の冒険物語へと昇華していったのか

          「多様性」という問題に正面から向き合った実写版「リトル・マーメイド」がアニメ版とは別物である理由

           1989年の末頃、当時日本でもレギュラーで放送されていたCNNの「ショウビズ・トゥデイ」は、忖度ない映画評が話題で、どんな大作やヒット作でもコテンパンにこき下ろしていて、 その理由も極めて明快で分かりやすいものだったので、最新作の動向と出来映えを判断する上で非常に参考になる番組だった。で、その番組で自分が見ていた限り、初めて絶賛された映画が「リトル・マーメイド」だった。  とにかく非の打ち所がないという評価で、その「ショウビズが絶賛した」という事実自体が最高の品質保証にな

          「多様性」という問題に正面から向き合った実写版「リトル・マーメイド」がアニメ版とは別物である理由

          「ウーマン・トーキング 私たちの選択」が観客に突きつけている「選択」とは

           自身が過去に性的暴行を受けた経験がある女優サラ・ポーリーが、脚本・監督を務めた「ウーマン・トーキング 私たちの選択」は、鑑賞者の心中にざわめきを生じさせる問題作だが、その明示する問題点とは、レイプや性自認差別、そしてその前提となる男女差別といった、これまでの映画でも散々描かれてきたものだけではなく、実のところ「作品を免罪符のように消化することで何もしない、実際には無関心な大衆」というものに対する、当事者たちからの悲痛な叫びも含まれていると思う。  カナダ人の女性作家ミリア

          「ウーマン・トーキング 私たちの選択」が観客に突きつけている「選択」とは

          圧倒的な映像快感体験をもたらした「スター・ウォーズ」の幸福感をその後の作品が凌駕できない理由

           サーガとしては現在のところ全9部作、その他の派生作品を含めると実写、アニメを含む映画、テレビシリーズなど夥しい作品数で世界観が構築されている「スター・ウォーズ」。その中でも映画作品として「どれが最も優れたエピソードか」というテーマは常にファンの間で議論というか、話題になっている。  とはいえ、たいていの場合は代表的意見として「『帝国の逆襲』こそが最高のスター・ウォーズだ」というものと、「いや、それも第1作の『新たなる希望』があってこその話だ」という主張が交わされることで平

          圧倒的な映像快感体験をもたらした「スター・ウォーズ」の幸福感をその後の作品が凌駕できない理由

          「TAR/ター」が描いた世界的指揮者の孤独と苦悩

           世界の娯楽の中心が音楽だった頃、オーケストラで演奏される管弦楽曲などは劇的に進化し、成熟を見せた。単なる娯楽から芸術作品へと発展するにつれて、音楽は考察され、解釈され、洗練され、その内面的世界を表現するには高度な技術と才能が求められるようになった。 世界最高峰のオーケストラやソリスト、そして指揮者によって生み出される名演奏の数々は、例えば数時間に及ぶ演奏であっても、たった1つ、たった1音のミスでもすべてが台無しになってしまうほどの繊細さと精密さを持っているし、それゆえすべて

          「TAR/ター」が描いた世界的指揮者の孤独と苦悩

          カズオ・イシグロの脚色が本当に見事だった「生きる Living」

           1952年公開の黒澤明監督作「生きる」は公開直後から世界的に高い評価を受けた作品で、言うまでもなく黒澤監督の代表作のひとつだ。本作はそのリメイクとなるわけだけど、90年代にスピルバーグがリメイク権を獲得してトム・ハンクス主演で映画化しようとしていたこともあって、その時には正直な話、「勘弁してくれよ」と思っていたんだけれど、結局、スピルバーグでもこの傑作のリメイクは実現できなかったわけで、それはこのオリジナル作品の完成度の高さをそのまま物語っていると思う。  黒澤作品のリメ

          カズオ・イシグロの脚色が本当に見事だった「生きる Living」

          「否定と肯定」の原作本が明確にする「印象に支配される生き方」の危うさ

           デボラ・E・リップシュタット教授の著書「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」は、2016年のレイチェル・ワイズ主演の映画「否定と肯定」の原作で、書籍の方はもちろんのこと、映画版も多少の脚色を交えながらも、極力真実を伝えようとした素晴らしい作品だった。  劇中では「ホロコーストはなかった」とする歴史家デヴィッド・アーヴィングの主張を、データや証言をもとに次々に突き崩していく様が、ある種の痛快さを生み出しているんだけれど、時間的な都合もあるので、原作のかなりの部分が省

          「否定と肯定」の原作本が明確にする「印象に支配される生き方」の危うさ

          実写版「美女と野獣(2017)」の脚色が賞賛されるべき理由

           童話の「灰かぶり姫」を独自に脚色した1950年の映画「シンデレラ」はディズニースタジオの第1期黄金期を代表する一本になった。同様にヴィルヌーヴ夫人の書いた民話を再編して世に知られるようになったボーモン夫人の「美女と野獣」を大胆に脚色した1991年の「美女と野獣」は、ディズニーの第2期黄金期を代表する作品になったことはもちろん、長編アニメーション作品として初めてアカデミー作品賞にノミネートされたことからもその完成度の高さがわかる。  さて、2015年にディズニーは「シンデレ

          実写版「美女と野獣(2017)」の脚色が賞賛されるべき理由

          「行動に伴う責任」と「人間の愚かさ」を問いかけた「イニシェリン島の精霊」

           タイトルにある「イニシェリン島」とは、北アイルランドにあるとされる架空の島で、そこに伝わる「精霊」の伝説とは「死を精霊が予告する」というものだそうで、ブレンダン・グリーソン演じるコルムによれば「精霊は人々の死をただ嘲り笑って眺めているだけだ」というものらしい。  というわけで、本作はその島の俯瞰ショットから始まり、画面を覆い尽くしていた霧が晴れていくことで島の様子が見えてくるようになっている。これは誰の視点なのかといえばもちろん「精霊たち」だろう。そして彼らがそこから見下

          「行動に伴う責任」と「人間の愚かさ」を問いかけた「イニシェリン島の精霊」

          「アフター・ヤン考察」ロボット工学三原則から考える「ヤンの機能停止」

           たしかアイザック・アシモフの科学エッセイで読んだと思うんだけど、「生物の脳細胞」と「機械の電子頭脳」の構造的違いとは、その構成要素の根幹が前者の場合は炭素であり、後者の場合はケイ素だということで、あとは基本的に相違はないから、問題はその処理能力ということになるんだけど、電子頭脳が飛躍的に発展していけば、人間の脳の持つ複雑さをいつかは超えるのではないか、ということなんだそうだ。  このことを知った時にまず思ったのは、「そうなった場合や、それに近づいた段階であっても、複雑さを増

          「アフター・ヤン考察」ロボット工学三原則から考える「ヤンの機能停止」

          「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」が映像で語りかけてくるもの

           映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインが長年行ってきた性的暴行の事実を告発した2人のジャーナリストを描いた「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」は、その原作でもあるジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーによる著作「その名を暴け: MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」の単純な映像化ではなかった。  世の中に大きな変化をもたらしたジャーナリストによるスクープを描いた作品としては、古くはニクソン大統領によるウォーターゲート事件をワシントン・ポスト紙

          「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」が映像で語りかけてくるもの

          「24分の1秒」の違いを極めた「THE FIRST SLAM DUNK」が「THE FIRST」である決定的理由

           スポーツ観戦の醍醐味はリアルタイムで進行するドラマであって、それは競技者のレベルが高ければ高いほど「ドラマチックな展開」が発生しやすい。だから各種大会でも予選よりは本選、準決勝、決勝と先へ進むにつれて人気も高くなる。オリンピックに代表されるように世界中でスポーツ観戦が楽しめる時代にあっても、やっぱりテレビ観戦よりも現場での生観戦に勝る迫力はないだろう。  一方で、「歴史的な内容の試合」というものが行われた場合、そこには様々なドラマが生まれているわけだけど、その「ドラマの中身

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          2本の「オリエント急行殺人事件」それぞれの存在意義とは

           犯罪被害者の気持ちというものは、同じ境遇に立たない限り決して理解できるものではないと思う。長年事件報道に携わってきて、実際に数多くの犯罪被害者の方々と過ごした経験があってさえも、彼らの気持ちというものは「なんとなく察せられる」といった程度の理解しかできないものだ。  それでも当事者にとってみれば、時間と共に感情を共有できるのはマスメディアの人間くらいしかいなくなるらしい。近隣住民や友人たちは近すぎるか、あるいは遠すぎるかで結局気持ちを共有できず、警察関係者にはもちろん協力

          2本の「オリエント急行殺人事件」それぞれの存在意義とは