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自分で6年前に織った緞通を自分で洗濯した。

2015年頃、私は勤めていた1軒目の鍋島緞通の織元を退職し(この後2軒目の織元に勤めに出る)、一人せっせと自分流の手織りの絨毯が出来ないか、本当の手探りでただ手を動かしていました。(頭で考えるより行動する方が性に合っているタイプ)。この頃はまだ”緞通アクセサリー”は形になっていなかった頃。


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上の写真は織り途中の2015年当時のもの。

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完成品がこちら。ikoeとして本格的に活動する前に作った木綿製の手織り緞通(ラグ)。

上の写真は完成当時のもの。2021年8月3日の今日、6年自宅の玄関マットとして使っていたこの緞通を久しぶりに洗濯したのでした。(この間数回洗濯はしてますよ。)

鍋島緞通に織師として勤めていた時は緞通は使うものでもなく、ただひたすら織るもので自分で洗うなんて考えもつかなかったけれど、本来、中近東をルーツに持つ手織りの絨毯の技術。厳しい寒暖の差が激しい砂漠地帯の自然環境の中で遊牧民が自らの生活のために織り、使用し、人々の生活を共にしてきていたと聞いています。きっと洗濯も勿論自分たちでしていたんだろうなと想像します。

自分は定住民族だけれど、ただの織師から、なんだか当時の遊牧民族のような気持ちになれたような気がして嬉しかったんです。ただ洗濯しただけなのにね。


岩永 英子
女子美術大学在学中に、職人の仕事に惹かれ、洋画から版画に転向。同大学(絵画学科洋画専攻版画コース)を卒業後、佐賀市の鍋島緞通の工房に織り師として約6年間勤務。2018年夏、自身のブランド<ikoe>として木版画、緞通の技術を用いたアクセサリー類の制作、ワークショップを中心に活動中。
https://www.instagram.com/ikoe_/

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