人は教えることの快楽・中毒性を知らなければならないかも。
↑これはもう大ネタバレ
■イントロ
人に教えること。だいたい善意が含まれていると思う。
わざわざムカつく相手や悪意をもって相手に指導することなんてフツーない。
となると、「教えること」はいいこと。素晴らしいこと。
人の為を思って、人のためになる行為。
私そう思ってました。ずっとずっと。
ある時、高校の化学の先生が
「僕含め、教師っていう人間はちょっと普通じゃないですよね。場をコントロールしているという自己陶酔感に少なからず酔ってるはず。」
(細かい内容の相違はあるのでおよそ概略)みたいなこと言ってました。
その時は「へ〜なるへそ〜。ちょっと分かる〜。そんなもんかな〜」的な理解でした。
■気づき
で、それからX+10年過ぎました。
最近気づいたんですけど(気づいて思ったけど、めちゃくちゃアタリマエのことやなって。まぁだいたい”気づき”ってそんなもんでしょ)
教えることの中毒性やばい
やっべーぞこれ。教えるってことは先ず自分は知ってるわけですよ。
「あなたより知っている。私は指導的立場なんだ。」
もっともっと突き進めると、これは形を変えたマウンティング。
いやいやいや、考えすぎでしょ。別に教えてる人は本当に教えたくって、相手に良くなってもらおうと思って教えてるんだよ。
そう思う方もいると思います。ですが、良い悪いを別にして、指導というのは「マウンティング」の要素も組み込まれていること。ちょっとだけ頭に置いといてください。悪いことじゃないんですよ別に。
■異常性
少し話を進めます。
普段仲間内だったら、面白くない話をスルーすること。あるかもしれません。
しかし指導では無理ですよね?先ず相手は大概上司など上の立場の人間。
そして、自分自身も未熟故に指導を承る(うけたまわる)立場。
そうしたら、スルーはおろか、全て一言一句聞き漏らすまいという姿勢が必要です。聞いてるかは別にして姿勢大事。
そして、だいたいこういう時、指導者が一方的にずーっと喋り続けます。私達、聞き続けます。これ、普通の会話のキャッチボールとしては珍しいですよね。まぁ普段の会話でも喋り続ける輩たまーにいますけど。
場合によっては、一人が100人1000人に一方的に話すこともありますよね。講義とか。異常事態!!
■マウンティング
結局何が言いたいのかというと、マウンティング行為を止めましょうという話ではなくて、「自覚」の問題だということを言いたいのです。
どうあれこうあれ、上の立場の人が話すとそういった要素を排除することはできません。当たり前です。
しかしその快楽を自覚しなきゃいけないのです。そして自制する必要があると思います。
一方的に話してもめちゃくちゃ聞いてくれる。自分は相手に為になることをしている。気持ちいい。しかし「人の為」というタテマエで相手をタコ殴りにしてるかもしれません。気持ちいいのはあんただけ。合法的にキャバクラワールド展開してるかもよ?
■なんでこんなこと思ったか
ちなみにこう思った背景には3エピソードがあります。
・まず1つ目
私、鷲田清一先生が好きで数年前講演会に参加した時の話。
(「聴く」ことの力: 臨床哲学試論は今回の一つの答えだと思っています。)
先生が冒頭に言ったのが
「一方的に一人が聴衆に話すということは普段の会話でみられない異様な光景だ」
今から1時間以上講演する先生がこのように話すのです。もう可笑しくってしょうがなかったです。でも今思い返せば、鷲田先生は「指導することの快楽」について注意深かったのだと。
本にも書かれてますが、哲学者や医者は喋りすぎたのだと。何かを解決しようとアグレッシヴな姿勢を取り続けたと。「聴く」こと「待つ」こと。これについて考えてみようかと。
・二つ目。
まさに自分がこのことを感じたエピソード。
私は写真を科学的に上手くなろう。再現性を高めよう。という裏テーマで活動を続けています。
そうすると必然的?に教えることが多くなります。
・どうやって上手くなったんですか?
・どうやってこれ撮ったんですか?
・何を考えながら撮るんですか?
・機材何使えばいいですか?
質問来ます。最初のうちはいい気になりながら、人様のためと思いいっぱいおっぱい喋りました。喋り尽くしました。
それである時、”もっともっと”これを届けなきゃ!もっとみんな上手くなろう!もっともっとと欲が出てきました。
そして振り返ったのです。
なぜ人が求めてるか分からないことを届けようなどと思ったのか。
実際は人のためじゃなくて自分の快楽になっていたんだと。
自分が教えるのが楽しくて、人が聞いてくれるのが楽しくて。これはもう合法キャバクラ感覚トリップ。
・そして3つ目。
これも決定的でした。
学部柄、先生は自分の仕事が忙しいのに、それに加えて丁寧に指導してくれます。
自分自身、指導を受けることは苦じゃないので割と素直に喜んで聞いてます。
しかしふと思ったのが、何がこの人達を駆り立てるのだろうかと。
もちろんタテマエとしては後進の育成。もちろんです。
しかし自分の貴重な時間を削ってまで、尽くすのはなんだろうか。人のためだけにここまで尽くすことができるのだろうか・・。疑問に思い始めました。
そして今までのエピソードから(そして私は基本快楽主義者なので)
教えることって実は苦じゃなくてめちゃくちゃ気持ちいいことなのでは?
もちろん人の為、後輩のためも大きなファクター(互恵的利他主義の観点から)ですが、それと同じくらい自分の快楽も主要要因なのではと。まぁあくまで仮説です。自分がその立場じゃないから分からないので。
■終わりに
ということでここまで2200文字。多すぎる。
読んでくださった方、拍手。すごい。
それで分かると思います。この記事の自己矛盾感。
人に押し付けんな言いながら、押し付けてまうやーつ。
ちなみに冒頭にあげたRHYMESTER「余計なお世話だバカヤロウ」とだいたい同じ内容です。この記事。
ということで、結論。
文章は長ったらしく書くかもだけど、現実では指導でも謙虚謙虚謙虚にね。
おしまいまい。(原稿用紙6枚分の超大作だぜこれは!!)
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