ぜひぜひ紹介したいカナさんのnoteに出逢った話
カナさんの文章は以前も読んだことがあり、きっと私の住んでいる土地からは遠い所だが、ご夫婦で丁寧な暮らしをされている方という認識がありました。
私は、お世辞にも良い夫婦関係とは言えず、子育てを言い訳にするわけではないですが…丁寧とは全くもって無縁の生活をしています。
このカナさんのnoteは、そんな対極な私に響き、深く深く癒され、そして同じことを思っている仲間に出逢えたという温かさに包まれました。
私はほとんどしたことのないコメントをすぐに送りました。
そしてその日のうちにカナさんからお返事を頂けたのです。
なんだかとてもこそばゆい、初恋の甘美さです(笑)
僭越ながら要約して紹介させていただきますが、
カナさんはお子さんをお持ちではないが、近所に住む小さい子供とその母親たちとの交流を大事にされています。
子供の母親が迷惑をかけたと思っていることに対して、「私もそうだったから」少しでもお手伝いしたいという、慈悲にも似た心の広さでお母さんにお手紙を渡されました。
そして、他の方への返信コメントを抜粋しますが、
そして私が先日も自分が寝込んだ際にもカナさんの様な方が居てくれたらどんなに良かったか、という旨のコメントに対して
と、「自分は子育てをしていないので…」と謙虚に前置きをしながらお返事を下さいました。
私はカナさんの「地域で育てるような感覚で人手となれたら」と書くその誠実な人柄と、成熟した精神とエゴを捨てた柔らかさに、自分のささくれた心をヒーリングしてもらったような、泣きたいような気持ちになりました。
私がエネルギーワークを通して、何度も試みているけれど根本解決にはならない子育ての悩みと、澱のように溜まった苦しさを流し、清らかに浄化されたようでした。
私は縁者が近くに居らず、夫婦のみで子育てをし、共働きをしていました。
そして、長男は診断はついていませんが多動っ子、夫も然りで(多動ではなく不動ですが笑)、なにかと困難を極める生活でした。
今でこそ経験を積んで「妻が倒れたらコンビニで弁当を買ってくる」というルーチンはこなせますが、10年前は本当に大変でした。
また、一方で私自身の問題として多動の息子を人に預けるという事ができませんでした。
まだまだこの時の私は、育てられた通りに「人に迷惑をかけない」という刷り込みが強く、また親として「躾のできていない子」という目で見られるのが辛かったのです。
40歳で次男を産み、男児2人の子育ては体力的にもキツく、ただ持って生まれた性質ですが、思ったことを饒舌に喋る天賦の才があるので(笑)、自虐ネタでもマシンガントークでエンジンを回して日々を送りました。
ただ、
この子達をおいては死ねない。
夫は二人を育てる事はできない。
私の親も高齢で頼む事はできない。
向こうの親には内孫が4人も居る。
友達は3交代の仕事をしている。
私はさっさと夜勤から足を洗ったのに頑張っている人にはとても頼めない。
繊細と言えば聞こえはいいですが、一度でも頼んで相手の迷惑な感情を感じてしまえば、こちらに非はなくても「いやな思いをするなら距離を置く」という、自らの手で自らの首を絞めていました。
あの、どこにも出口のないトンネルのような閉塞感はだいぶ私を苦しめましたが、その原因は、夫でもなく親でもなく友人でもなく、助けを求められない自分自身でした。
幸いな事に人には恵まれて、いつも見守って頂きました。
助けの手はすぐそこにあったのです。
年月が経ち、次男も1年生になりました。
小学校に上がったらラクになるというのは迷信だったようで(笑)、相変わらずバタバタしています。
夏休み明け、思春期に入った長男と、人の気持ちを読めないお父さんとの出来事がちょっと拗れてしまい、学校に行けなくなりました。
母もコロナ疑い?で病院に行ったりとフォローもできない状態だったので、文明の力「オンライン授業」を選択しました。
長男はとても理性的です。
そして優しく、母が寝込んだ姿にコロナに恐怖感を持ってしまいましたが、恐れに勝ち自分で決め、晴れて今日から登校です。
カナさんの文章は、寝込んだベッドの中で読みました。
だけど、感動した理由は弱ったメンタルに響いたからではないのです。
昨年、私は暗いトンネルに一条の光が差す出口を見つけて、脱出成功しているのです。
カナさんと全く同じ思いで、みんなで協力して子育てはできないだろうか?
そう考え始めていました。
今までが無理だったのです。
夫婦二人の核家族で、共働きをしないと家と車と教育費を捻出できず、国に税金を納める事もできないなんて。
それが当たり前だと思い、子どもとは朝晩2時間程度のコミュニケーションしか取れず、必死に働く。
「本末転倒」
最近、ふと思った言葉がカナさんの返信にありシンクロにビビビときました。
仕事のためにと初めた手習いのInstagramに、ついこの間あげた私の思いがありました。
頂いた野菜を、私は調理して、また他に回っていく。
私はもう体力がないから外で働けないけど、料理をするし、赤ん坊の子守りはできるから、誰か息子に野球を教えて。
老人と家の中でできる事をするから、若いものは外で働いてきて。
みんなで美味しいものを食べましょう。
季節を重ねて行きましょう。
これからの家族の形は変わっていくと思います。
それはある日突然ではなく、みんなの集合意識がムーブメントを作るのです。
家族以外が協力して一緒に住むコミュニティをおかしいと思わず、あるわ〜!と思える柔軟な人が増えるほど、私たちはもっとラクに楽しく生きられるのだと思います。
カナさんと私の出逢いが、同じような思いでいた人や、または目から鱗だわ!と誰かの初めてに届けばいいなあと思います。
発信する事で引き寄せる!
勇気を出してnoteを書いてくださったカナさん。
私も続きます!
ありがとうございました😊
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