クルド人とシリア。5分でわかる、関わりとその問題。



クルド人は色々な地域に住んでいるため、各国との関係が複雑でなかなか捉えにくいです。


ニュースを読んで「クルド人とアサド政権がイスラム国を倒すために共闘した!」と書いてあってもいまいちピンと来ませんよね。


そこでシリアとの関係を知り、どんな問題が起きているのか理解できるよう、簡単にまとめてみようと思います。

こんな人におすすめです



・クルド人について知りたい
・ニュースとかみても結局何が何だかわからない
・どんなことが起きているのか整理できない




クルド人とシリアの関係

クルド人はもともとザンギー朝の支配下であるイラク北部に住んでいました。

彼らは軍の一部としてシリアに向かい、そこから住み着くようになりました。


だからハサカ、ラッカ、アレッポなどシリアの北部にクルド人が多く住んでいます。


クルド人とシリアの間で起きている差別問題

クルド人達は言語の利用を制限されたり、さまざまな資格を剥奪されるなどの差別をこれまでに受けてきました。


この問題を考えるためにはまず、フランスによる委任統治の時代を知る必要があります。


シリアにはいろんな人が住んでいて、様々な宗教、宗派、民族からなっています。


そこに目をつけたフランスはシリアでの支配をもっと強くしようと考えました。


そのためにシリアの多様性を利用し、クルド人などのマイノリティを、アラブ人などのマジョリティよりも軍に多く採用しました。


こうすることでシリアの人々の対立を激しくさせました


さらに、アラブ民族主義の流れの中でクルド人に対する差別はひどくなり、クルド語のレコードが捨てられ、クルド人に対する焼き討ちが行われました。

1960年代以降は差別が「例外的統計」「アラブ・ベルト構想」によって制度化されていきました。


例外的統計とは、ハサカ県でもう一度人口統計調査をしたことです。なぜ二度も調査をしたかというと、一度目の調査でハサカ県の人口が異常に増えていたからです。


この原因は違法にシリアに入ってきた人がいるからだと考えられ、二度目の調査時に違法に入ってきた人たちを「外国人」「無国籍者」とすることで大幅に増加した人口を修正しました。


そして「外国人」「無国籍者」に対し、国内で自由に移動することを禁止し、選挙権を奪いあらゆる資格の剥奪を行いました。


他方、アラブ・ベルト構想とは社会主義的な農村を作ろうとした計画で、この計画によってハサカ、アレッポに住んでいた約10万人ものクルド人たちが追放され、財産まで奪われてしまいました。

また、この構想と時を同じくして、公共交通機関でクルド語を使うことを禁止しました。



差別に対する取り組み。クルド自治。


2002年アサド政権はクルド人に対する差別を認め、改善していくことを表明しました。


2011年ごろからシリア国内で内戦が激しくなり、クルド人はこれに干渉しないようにしました。

そこで、アサド政権はクルド人に対して少しでも対立を無くそうとして市民権を与えました。


こうしてシリアの軍がいなくなり、クルド人はシリア北部で自治を手にしました。




自治政府を樹立した後も、アメリカ撤退によるトルコとの対立激化やイスラム国による脅威によって未だに安定していません。


今後どうなっていくのか、新しいことがわかったらどんどんまとめていきたいと思います。



参考文献
山口昭彦『クルド人を知るための55章』明石書店、2019年

森山央郎(2017).「シリアのクルド人--現状と歴史の概観(特集 クルド--国なき民族の生存戦略)」『アジ研ワールド・トレンド』266巻, pp.14-15.

勝又郁子(2017).「シリア--クルディスタンの変貌(特集 クルド--国なき民族の生存戦略)」『アジ研ワールド・トレンド』266巻, pp.7-9.

AFP BB News,「シリアのクルド人、抑圧から自治への歴史」,2018年1月24日, https://www.afpbb.com/articles/-/3159470, (9月16日閲覧).






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