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滴り落ちる紙〜横尾忠則さんのこと〜

夢のなかでは紙吹雪が絵の具になり滴り落ち、ランタンの炎がまわりを溶かし、溶けたものが紙片となりひらひらと舞う。地面に落ちた紙片は地上の草木を焼き、燃え広がる。

暗闇を、室内を逃げ、小さな窓から脱し、走り、足はもつれ、転び、怯え、おののき、カーテンを開け、声を出そうにも出ず、つながらず、交わり、揺れ、排泄できず、つかみ、離さず、叫び、とり乱し、歌い、笑い、話し、聞き、拒絶し、メッタ刺しにし、くぐり、運転し、逆走し、泣き、抱きつき、悔やみ、怒り、手を振り、空を飛び、空を漕ぎ、見送り、川を渡り、付き添われ、別れ、食べず、血を流し、吸われ、愛され、運ばれ、触れ、安堵し、同意し、見る…

いつでもそこにはもう一人の私がいて、すべてを見ている。
痛みを共に感じ、共に泣き、笑いながら。
あぁこれでよかったのだと。受容し、許し、支え、気づく。

つかめそうでつかめず、言葉にできなくてもどかしく、あきらめる。


横尾忠則さんのある一枚の絵を展覧会で見たとき、あぁこの人は世界を私と同じように捉えていると感じ、涙が止まらなかった。私だけじゃないんだ、独りじゃないんだと。ものすごく長い題名の絵だ。

そして、横尾さんが観客の前で絵を描くという、世田谷美術館で開かれたイベントを見に行ったことがある。
当時、Y字路がテーマだった横尾さん。なぜかニッカポッカを身につけて、工事現場のおっさんの格好で、真っ白で大きなキャンバスに描き出す。

しばらくして、次第に絵が景色が浮かび上がる。
映画「砂の家」の冒頭のように、霧の中から姿を現すように絵が息づき始める。
絵描きが絵を目の前で描くというのを初めて見た。横尾さんは絵の具をパレットに出すたびに、絵の具のキャップをいちいちきちんと閉めながら淡々と描いていた。私は予想していた描き方と違うなぁと思った。もっと情熱的に、ほとばしるエネルギーで、勢いで描くのかと勝手に想像していたのだ。絵の具のチューブを思い切り握り捻り出して、はずしたキャップなんか気にせず、髪ふり乱し…みたいな。
想像に反して淡々と絵を眺めながら描いている横尾さん。

そして、イベントの終盤、なぜ横尾さんがニッカポッカを身につけているのかわかった。
絵がほぼ仕上がり、Y字路とその先の暗闇の世界が生き生きと広がる。その手前に立つニッカポッカ姿の横尾さんはこちらとあちらをつなぐ媒介者の役割をまさしく「演じて」いたのだ!横尾さんは絵の一部であり、出演者の一人…。私たち観客は、それぞれが感じる絵の世界を楽しみ、人によっては不安にかられ、見つめているとどこまでも続くようで吸い込まれそうなもう一つの世界を、横尾さんの背中の向こう側に見た。

画集を買い、サインしていただいた。握手も。

昨年引っ越す前、近所だったこともあり横尾さんを時々町でお見かけしたが、プライベートだし、好きすぎるのともう画集もグッズも持っているし、展覧会やあのイベントのときの体験が素晴らしかったのでそれだけで十分。いつも声はかけなかった。うれしさに心躍らせながらも。

今も画集をすぐそばに置いて観ている。
絵って夢なんだなと思う。
つかみどろがなくて私が言葉にするのをあきらめてしまう世界がそこにある。
横尾さんの絵は、これからも私に寄り添い、助けてくれるだろう。


〜最後まで読んでくださり、ありがとうございます!〜



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