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さよならの涙腺が崩壊な日

※協力隊時代のペルー日記、下書きにあったものを更新します。こちらは2022年11月中旬ごろの記事。

ペルー479日目(/106日目)、任地445日目(/98日目)。火曜日。

協力隊生活が、終わろうとしている・・・・・
ピリオドを打つ心の準備がどうやらできていなかったようで、急に焦り始めて筆を取っています。残すところ、あと2週間。任地にはあと数日。

昨日は任地での最終報告会でした。同僚を呼びまくって、カウンターパートには町長が来るからと言われそれで予定調整をしたけれど、町長もカウンターパートも来ず、同僚は10人中3人しか来ず、先行き怪しいなあと思っていたところ、前の同僚Mさんが来てくれて、あとその辺にいた関係者が2人席についてくれて報告会スタート。

色んな嬉しいコメントをもらった。してくれたこと全部がありがたいと、感謝してもらい、私も感謝感謝な時間になった。Mさんは最初から最後までずっと真剣に聞いてくれて、本当にありがたかった。今日はそんなMさんとの思い出話。

今日はそんなMさん宅でカレーを作ってきた。一緒に過ごす最初で最後の晩餐!奥さんとMさんと一緒に楽しい時間を過ごした。着任時から一緒だったから、昔の思い出も話したり、いろんなことを覚えていてくれてとてもうれしかった。協力隊事業に全面的に協力的で本当にありがたい。彼がこの町にいてくれて本当に良かった、ありがとう。

そんなMさんとは今後もう会う機会がないので今日でお別れ。最後にハグしてお別れしたけど、そこからの私の涙腺が、やばいですとまりません。
別れてから彼への感謝の気持ちの大きさに気が付いてようやくこの別れに焦ってる。母と同じ歳ほどの上司、ずっと認め続けてくれて本当にありがとう。

すごく頭のいい人で、着任した時私という存在にまだまだ疑念があったのか、警戒しているようにも見えた。役職が高いからほとんどの活動を一緒にすることができず、でも初めての上司だったので、必死に報告書を毎月書いてだして説明してコメントしてなるべく足並みをそろえて行った。一番信頼を得られたときもよく覚えてる。4月に着任してからずっと信頼関係構築に努めていたけれどなかなか一朝一夕にできるものではなくその時まではなんの感触もつかめてなかったのだけど。

とある日、彼が責任者のイベントがあって、登壇者が20分くらい遅れてきた。学生や参加者はずっと待っていて、さすがに登壇者が遅刻というのは示しがつかないから、上司がなにか時間つぶしになるものを探しに行った。私も何かできないかなーと思いつつ、その時はまだ人前で何かやったこともなく自信が皆無だった。でもとりあえずプロジェクターに映し出されたPC画面から私のUSBフォルダをいじるふりして日本語で書かれた資料を提示してみたら参加者からいい感じの反応。これはいけそうだと思ってそこからは日本語の話を軽く始め、くいついてきたところで全面的に日本文化や日本食の話をした。つまり、場つなぎをした。

そのあと登壇者が無事着てバトンタッチして終わったけれど、そのあと初めて上司に感謝され、いくみがいてくれてよかったよ、と言ってもらえた。みんな聞いてたね~登壇者居なくて困っちゃったからビデオ探しに行って戻ってきたときいくみがプレゼンしてるの見てびっくりした。ありがとう。と

すでに着任から数か月経っていたから少しは信頼関係築けていたかもだけれど、そこから一気に私の話を聞いてくれるようになっていつの間にか一番の味方になった。これはよかった~と安堵しつつ、年明けに向けて隊員活動のプランをサクサクとたてて行った。

そのあと年が明け、私に降りてきた衝撃なニュースは、そのMさんの突然辞任(あるある)。あんなに信頼関係を築いて9か月頑張ってきてこれからだったのに、、どうにかならないの、、?という感じ。でもやっぱり戻ることはなくて私は全く新しく上司がついた。

そのあとコロナ禍になり、一時帰国したけれど、ずっと絶え間なく連絡をくれたのはMさんだった。そして隊員がまた戻ってくれるための情報共有を積極的にしてくれた。今回私が戻ることもとても喜んでくれた。悩みに対してアドバイスをくれて励ましてくれた。

最後せっかくだからと彼のお家に行って妻さんとともにカレー作り。いろんな話をして帰ってきてさよならして今。Mさんには本当にお世話になりました。

また、いつか戻ってきて、会いたいな。


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