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奥野俊作監督 × 西ヶ谷寿一プロデューサー対談

監督による映画企画の発信の場であり、監督とプロデューサーとの出会いの場であるIKURA。対談企画第2弾は、奥野俊作監督と西ヶ谷寿一プロデューサーによる対談です。CMディレクターとしてさまざまなCMを手掛けながら映画制作を志す奥野監督と、これまでに数多くの若手映画監督とタッグを組んで才能を発掘し、世に送り出してきた西ヶ谷プロデューサー。回り道をしながら今の場所にたどり着いたおふたりによって語られる、これまでの歩み、“食っていく”映画作り、“同世代”であることの重要性、『ドライブ・マイ・カー』や『偶然と想像』に見る新しい可能性、そして映画を志す人へのメッセージとは。(構成=木村奈緒、撮影=間庭裕基)


■『あのこは貴族』に感激して

奥野 今日はありがとうございます。最近観た邦画のなかで、すごく好きだったのが岨手由貴子監督の『あのこは貴族』で、西ヶ谷さんがプロデューサーを務めていらっしゃるんですよね。調べたら、自分が観て好きだと思った映画の多くを西ヶ谷さんが手がけられていたので、ぜひお話をうかがってみたいと思いました。

西ヶ谷 ありがとうございます。

奥野 『あのこは貴族』は、今でもいろんなシーンを覚えています。前情報もなく、ふらっとシネコンに観に行ったんですけど、自分でもちょっとびっくりするぐらい感激しました。

西ヶ谷 次の世代の監督たちが「こんな作品を作りたい」と思ってくれればと思って制作していたりはするので、そう言っていただけて嬉しいです。『あのこは貴族』は、山内マリコさんの小説が原作ですが、原作モノをやるときは、配役だけでなく監督とのマッチングが重要だと思っています。同世代のクリエイターたちが同じところを目指して作品をつくれると、気持ちの良いものになると思っていて、『あのこは貴族』の岨手監督も山内さんも表現方法は違うけど、同じカルチャーを共有できる同世代だと思います。

奥野 沖田修一監督の『さかなのこ』も拝見しました。西ヶ谷さんが携わった映画は、監督のパーソナルな部分を感じる作品がほとんどで、監督を育てるというビジョンを持ってお仕事をされてきたんだろうなと感じました。

西ヶ谷 僕も20代のときに自主映画をやっていたんですけど、映画で食べていく方法が分からなかったんですよね。食っていくためにと思ってCM制作会社の就職試験を受けたら、最終面接で、ある著名なCMディレクターに「映画をやりたいんだったら、映画をやれよ」と言われて。それで就職するのはやめてフリーターになりました。そこから東京テアトルに入るまでの7〜8年間、どうやったら映画監督として食べていけるかを自分なりに考えていたんです。だから、監督たちには「こうやって食っていこう」という話し方をしています。

監督の一作目の現場ってすごく重要じゃないですか。だけど、無名の監督には誰も興味を持ってくれないから、脚本が勝負だと思ってます。面白い脚本ができていれば、スタッフもキャストも集まるし現場が進みます。それで、デビュー作がつくれて評判になれば、次作以降も人が集まりやすくなる。だから監督のデビューに際しては「1作目は赤字かもしれないけど決定的な評判を得るためににやります。2作目は原作モノで認知度をあげて、3作目までには回収します」と言って周囲を説得します。監督たちにも「とにかくデビュー作はオリジナルで徹底的にこだわったものでいこう。でも2作目のチャンスが来た時は同じようにはいかない」と伝えています。作品を重ねるごとに要求されるものが大きくなっていくので、監督はそれを弾き返さないといけないんです。『あのこは貴族』も、僕があれこれ言うのを監督が弾き返さないといけない現場だったので、岨手さんは本当に大変だったと思います。

奥野 そんなに言うんですか。

西ヶ谷 ときには険悪になるくらい言いました。でも、僕らはその次のバッターボックスも確保する必要があるので、どこかでその監督ならではの良さを出せるようにしないといけないんです。これは俳優さんも同じだと思います。ともかく3本一緒にキャリアを積んで、ちゃんと監督名が認識されるようになったら、おそらくもう食べていけるので、それ以降はお互いやりたいときに声をかけるという形でやっています。


■「もうちょっと頑張らないと」と思って映画制作の道へ

西ヶ谷 奥野さんは、いつごろから映画をつくられているんですか。

奥野 36歳くらいからです。映画はずっと好きでしたが、それこそ映画で食べていけると思っていなかったので、自分が映画を撮れるとは想像していませんでした。僕の世代はCMの世界が輝いて見えた時代だったので広告業界に入って、2015年頃にCMディレクターになるまで8年ほどプロダクションマネージャー(PM)として仕事をしていました。

西ヶ谷 僕は中学生ぐらいから映画監督になりたかったんですが、今はプロデューサーをしているので、奥野さんとは逆のパターンですね。僕もプロデューサーという仕事について何も知らなかったし、興味すらなかったです。でも、念願かなって映画の仕事に近づけた時、飛び交う会話を聞きながら疑問に思うことが多くて。そこで口出しするなら自分がプロデューサーという役職になるしかないなと。そこから誰にも教わらず見よう見まねでプロデューサーの仕事を覚えていきました。

奥野 僕もPM時代に、現場でCMディレクターを見ていて「正直、この人よりは自分のほうができるかも……」と思ったことはあるかもしれないです(笑)。PM業も精一杯やっていたんですけど、優秀なプロデューサーは人間力が高いというか、朗らかで悩み事を吹き飛ばすような人が多くて。自分は結構ウジウジしてしまうので、そういうタイプじゃないなと。あと、実際にCMの撮影現場に立ち会うなかで、15秒とか30秒ですけど、1本の映像が出来上がっていく過程を見ていたことも刺激になりました。

『きのう何食べた?』を監督した中江和仁くんが同じ会社なんですけど、彼が『嘘を愛する女』という映画を撮ったときに、僕の家の近所でロケをやっていて、エキストラで参加したんです。結構寒い日で、冷たい地べたに座って夜食のケバブを食べているときに「中江くんはあんなに頑張っているのに、俺はこんなことしてていいのかな」と、ふと悲しい気持ちになって(笑)。それで、もうちょっと自分も頑張らないといけないと思って書いたのがndjc※2017で制作した『カレーライス』です。だから映画監督としてのスタートは遅いんです。

西ヶ谷 学生時代に一緒に映画をつくっていて、CM制作会社に就職した同級生がいますが、50歳ぐらいのときにサンダンス・インスティテュート/N H K賞を獲って、いま映画をつくろうとしています。今は、年齢はあんまり関係ないなと思います。

奥野 僕は40歳を超えてから、逆に焦りみたいなものがなくなってきました。最終的には自分がこの作品を撮りたいと思う理由をつかめない限りは、そもそも作品が世に出ていかないんじゃないかとも思っていて。もちろんお客さんに観てもらうことも考えないといけないですが、一作目はたとえ世に出なくても、ここまで書ききったからいいやと思えるぐらいの必然性がないとダメなのかなと思っています。

西ヶ谷 いずれにしろ、監督は脚本を書くことが重要です。もちろん脚本家が書いたものでもいいですが、監督は他人の書いた脚本についてダイレクトに指摘できないといけない仕事でもあるし、編集も脚本の解析能力がないとできません。だから、監督が一人で修行を積むとしたら脚本しかないと思います。あと、撮影期間のなかでいかに「勝てる」かも大事ですね。撮影もすべてが思い通りに行くわけではないので、撮影期間中に脚本と対峙しながら臨機応変に変更を加えて、最終的に勝たないといけない。ただ、頭で勉強できるものでもないので、経験を積むことでできるようにしていきます。


■ 同世代の監督と歩むプロデューサーの重要性

西ヶ谷 テアトルに入る前、映画業界を志している頃に、配給セミナーの講座に通ったことがあります。そこで、海外作品の買い付けをしている講師の方が「ひとつの時代に、才能のある人は4、5人しかいない」と言っていて、その言葉が忘れられないんです。僕がテアトルに入った頃、熊切和嘉監督や西川美和監督といった75年世代の監督がデビューしたんですが、あと何人、この世代で才能のある監督を探せるかなと考えました。1970年生まれの自分が声をかけられるのは、70年代生まれの監督だと思っていたし、同じ時代のカルチャーを見てきた俳優や原作者と、監督やプロデューサーがうまく混ざると面白いと思っていたんです。だから、今の若い監督にも若いプロデューサーがついて、うまく引っ張っていってくれたらいいと思います。

奥野 そうですよね。自分も長編の企画を温めていますが、パートナーになるプロデューサーが必要だと感じています。

西ヶ谷 監督が自分で企画を実現していくといっても、限度がありますしね。でも、自分も偶然プロデューサーになったわけで、プロデュース業をやる人って、たまたまの人が多いと思うんですよ。その割には覚えなきゃいけないことが山程あります。会社に入ったら利益をどう出せるかを強く求められるから、そのなかでなんとか画策して企画を実現していくしかない。でも、そんなことを20代前半のうちから分かっている人なんてほとんどいないので、若いうちからプロデューサーとして仕事をするのはなかなか難しいですね。

ただ、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』がすごく良い結果を出したのを見て、ああいうやり方もあるんだと気づいて、もっとインディペンデントな形でプロデューサーを目指す若い人が出てくる可能性もあるんじゃないでしょうか。「同世代の監督と一緒に自分も大きくなっていく」というプロデューサーが出てこないと、監督も世に出てこれないですから。映画会社の人たちだって、作品が儲かるか儲からないかなんて本当は誰も断定できないので、プロデューサーと監督のコンビネーションでうまくやっていけたらいいのではないかと思います。

奥野 濱口監督の『偶然と想像』も、あまり予算がかかってないと思いますが、信じられないぐらい面白かったです。これを観たら「予算がないから」とか「大衆は分からないから」といった言い訳は全然できないなと思いました。ndjcで実際に映画をつくったとき、苦しさもありましたが、かつてない充実感があったんです。いろんな人に、良いとか悪いとか分からないとか言われることも含めて全部貴重な体験でした。やっぱりこれで終わりたくないなとずっと思っていて、その気持ちが長編を撮りたいというモチベーションにつながっています。

西ヶ谷 奥野さんと僕は10歳ぐらい歳が違いますが、僕らの世代は、映画監督になるためのサポートは、ほぼ何もありませんでした。映画監督になりたかったら、ぴあフィルムフェスティバルアワードに入選して、肩書きに入選歴を書き加えて次を模索するぐらいしかなかった。映像で食べていくにはCMしかなかったし、将来何ができるかなんてさっぱり分かりませんでした。だけど、今は30歳でも40歳でも、やる気さえあれば映画制作ができる世の中になっていると思います。映画学校の数も増えたし、ndjcをはじめ、映画をつくるチャンスは増えています。僕らの世代は22、23歳で人生を決めないとどうにもならないと思っていたけれど、今はいつでもチャレンジできます。IKURAのようなプロジェクトもあるし、将来に不安しかない世の中だからこそ、飛び込んでみたらいいんじゃないでしょうか。やってみて合わなかったら別の道があるし、その人の決意ひとつだと思います。

※ ndjc ……文化庁委託事業「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」
次代を担う若手映画作家の発掘と育成を目的とし、若手映画作家を対象に、ワークショップや製作実地研修を通して作家性を磨くために必要な知識や本格的な映像技術を継承することに加え、上映活動等の作品発表の場を設けている。


PROFILE

西ヶ谷寿一 NISHIGAYA Toshikazu
1970年静岡県生まれ。明治大学卒業後、様々な職歴を経て03年に東京テアトル入社。新人監督の発掘と育成を企画の根幹に据えてプロデュースを行う。
井口奈己監督『犬猫』(04)/『人のセックスを笑うな』(08)。冨永昌敬監督『パビリオン山椒魚』(06)/『パンドラの匣』(09)/『素敵なダイナマイトスキャンダル』(18)、沖田修一監督『南極料理人』(09)/『横道世之介』(13)/『おらおらでひとりいぐも』(20)、真利子哲也監督『NINIFUNI』(11)/『ディストラクション・ベイビーズ』(16)、岨手由貴子監督『グッド・ストライプス』(15)/『あのこは貴族』(21) 、他に『私の男』(14/熊切和嘉監督)、『ふきげんな過去』(16/前田司郎監督)、『旅のおわり世界のはじまり』(19/黒沢清監督)など。最新作は沖田修一監督『さかなのこ』(22)。

奥野俊作 OKUNO Shunsaku
脚本/監督/CMディレクター
2018年 ndjc2017 『カレーライス Curry and Rice』 脚本・監督
2020年 TOKYO FILMeX New Director Award ファイナリスト
2021年 サンダンス ・インスティテュート/NHK賞 日本代表
2022年 Talents Tokyo 2022
現在初長編企画準備中