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(二)実戦的小説習得法

 一般論ばかりだと面白くないでしょうから、多少方法論も書いておきます。
 我々人間は、他の動物と違い、言葉を話したり、書いたりすることで文明というものを作り上げて、現在の繁栄を築きました。
 言葉を話したり、書いたりするという行為は、赤ちゃんの時期から、家庭という集団で育つことと、学校教育という場で覚えていきます。
 我々日本人は、やる気と方法さえ間違えなければ、英語、中国語、韓国語、フランス語と他国の言葉でも話したり、書くことができるようになります。それと同じことで、文章がうまくなる訓練方法で、私が教師から聞いて実践した方法は、新聞の社説を書き写すことです。これを“筆写”と言います。
 何故、新聞の社説がいいかと言うと、社説を書く人は、その新聞社でもトップクラスの文章家だからです。スポーツでも、うまくなるには、その分野のトップクラスの人の真似から始めることだとよく言われます。真似をすることにより、ある程度のレベルに達したあと、自分自身の特徴を加味していけば、やがてそれがその人の“個性”“スタイル”と呼ばれるようになります。
 スポーツでは、「頭ではなく、体で覚えろ」とよく言われます。
 ブルース・リー(映画『燃えよドラゴン』)の言うところの、「Don’t Think,Feel!(考えるな、感じるんだ)」というところでしょうか。
 一番分かりやすいのは、ボクシングでしょう。ボクシングの練習方法に、スパーリングという実戦練習があります。
 実際にグローブ(12オンス・試合は8オンス)をはめて、リングの中で実戦形式の打ち合いをする練習です。但し、頭部、顔面のケガ防止のためにヘッドギアをつけます。この練習によって、選手は攻撃、防御の技術を身につけます。特に世界チャンピオンクラスの選手とスパーリングをやると、テクニックが磨かれます。事実、世界チャンピオンのスパーリングパートナーからは、何人も世界チャンピオンが誕生しています。
 これと同じ理屈で、小説でも、自分の憧れる、あるいは自分が書こうと思っている作品の傾向が同じ小説家の作品を、読むだけではなく、筆写するといいと言われています。つまり、頭ではなく、腕に覚えさせるという訓練です。
 古美術商の跡継ぎは、子供の頃から本物、一流の物に触れさせて、鑑定眼を身につけさせます。それと同じことで、成功したかったら成功した人に、一流になりたかったら一流の人に、接近、接触することです。
 三島由紀夫も、世に出るきっかけとなったのは、東大の学生時代、鎌倉に住んでいた川端康成の自宅に、『煙草』という小説の原稿を持って行ったことが始まりでした。それを読んだ川端は、雑誌『人間』の名編集長、木村徳三に三島を紹介し、その原稿が雑誌に掲載され、文壇への足掛かりを摑みました。
 これは一般にはあまり知られていないことですが、今、日本で一番ノーベル文学賞に近い作家と言われている村上春樹には、アメリカの大手エージェント会社ICM(インターナショナル・クリエイティブ・マネジメント)の敏腕エージェント、アマンダ・アーバンの存在があります。英語の話せる村上春樹は、自分で直接ICMにコンタクトをとり、エージェント契約を結びました。
 欧米には、こういう作家エージェントの存在があり、才能のある作家が世に出やすいシステムになっています。最近、日本にも作家エージェントができつつありますが、原稿を読んでもらうだけで、3~5万円とられます。それだけカネを払ったからといって、必ず契約に至るとは限りません。アメリカでは、原稿を読んでもらうだけでカネを取るのは、もぐりのエージェント言われていますので、くれぐれも気をつけてください。
『ハリー・ポッター』シリーズを書いた、J・Kローリングも無名時代に、あるエージェントに、『ハリー・ポッター』の原稿を見せたら、「つまらない」と原稿を突き返され、他のエージェントに見せると、「面白い」と言って、出版社に持ち込んでくれました。
 しかし、その出版社の社長は、その原稿を読まないで、他の原稿と一緒に机の上に積みっぱなしにしていました。が、それを社長の8歳になる子供が読み、「パパ、これ面白かったよ」と言って、それがきっかけで出版に至り、映画化もされ世界的ベストセラーになりました。
 書いた作品がことごとくハリウッドで映画化されるベストセラー作家、スティーヴン・キングも、何度も何度もエージェントの家のポストに原稿を放り込んで、やっとエージェント契約を結び、現在の成功があるといいます。
 スタンダールの不朽の名作『赤と黒』は、初版はたった30部しか売れませんでした。
 つまり、最後の最後まで諦めてはいけないということでしょう。
 
 もう一つ小説を書く上で大切なことは、視点の統一です。
 シナリオは文字で絵を描くことだと言われているように、撮影カメラの視点で書かなくてはいけませんが、小説は登場人物の視点で書く必要があります。初心者の小説には、この視点の統一ができていない作品が多々あります。いわゆる視点のぐらつきです。これがあると、小説の新人コンクールでは減点されます。
 短編だと、「私」「僕」「オレ」の一人称一視点が書きやすいかと思われます。その視点で書き進んでいたのに、途中から相手の視点で書いていたら、読者は読んでいて戸惑います。複数の視点で書きたかったら、長編のように、章を分けて書けば問題はありません。その方が、一視点より話が膨らみます。
 その典型的な作品が、松本清張作品の中で私の一番好きな作品である、長編小説『波の塔』です。これは、章が変わるごとに、あるいは同じ章でもスペースを設けて、主人公の新米検事・小野木喬夫とヒロイン・結城頼子、R省局長の娘・田沢輪香子などの複数視点で見事に書き分けられています。
 この作品は、この三人を軸に話が展開していきます。
 深大寺を小野木と頼子が散策中、田沢輪香子と出会った後に、
「小野木さんは、あんなお嬢さん(田沢輪香子)と、結婚なさるとよろしいわ。きれいなかたじゃないの?」という、結城頼子の心象を表す象徴的なセリフがあります。かと思えば、頼子が小野木に囁きます。
「道があるから、どこかへ出られると思ったけれど、どこへも行けない道って、あるのね」このセリフも、この物語の行く末を暗示した見事なセリフです。
 私は、学生時代にこの小説を読んですっかり気に入ってしまい、検事を目指そうかと思ったほどです。もちろん、検事になれば、結城頼子のような美しい人妻と恋愛ができるというような、邪(よこしま)な考えはみじんもありませんでしたし、松本清張のような小説家になろうなどという大それた野心は、露(つゆ)ほども持ちませんでした。
 しかし、後年、小説を書いてみようかと思い立ったときに、最初から最後まで原稿用紙に手書きで書き写しました。原稿用紙で1,050枚あり、時間と労力がかかりましたが、全部書き終わって、
<ああ、小説はこうやって書けばいいのか。登場人物は、こうやって設定して、配置すればいいのか>と、納得しました。
 それほど、登場人物がそれぞれ生き生きと活写され、ストーリーの展開、いわゆる構成がしっかりできていました。それゆえに、この小説は、何度も映画化され、ドラマ化されているのでしょう。主人公、小野木喬夫、ヒロイン、結城頼子役は、腕に覚えのある役者さんなら、是非やってみたいと思わせるキャラクターです。
 今なら誰でしょう----? 小野木喬夫役はすぐには思い浮かびませんが、結城頼子役は、最近清張作品のヒロイン役が続いている、武井咲さんあたりでしょうか----。
 清張作品『黒革の手帖』の原口元子役がはまり役だった頃の、米倉涼子さんなどピッタリだと思うのですが、そんな企画を考えたプロデューサーはいなかったのでしょうか? それとも、私が不覚にも、そのドラマを観逃していただけなのか----?
 最近(2024.1.3)、テレビ朝日で後藤久美子、武井咲のW主演で放送された2時間ドラマ、松本清張の『顔』という傑作短編小説は、犯人と目撃者の両方の視点で交互に書かれていて、サスペンスタッチを盛り上げています。ラストの一行を読んで思わず、「お、お見事----!!」と叫びたい衝動に駆られました。
 もちろん、この作品も筆写したのは言うまでもありません。
 
 もう一つお勧めしたいのは、日記を書くことです。日記を書くことによって、日常生活の観察眼が鋭くなります。作家を目指すのなら、ボーッと生活していてはだめです。人間を、世の中をよく観察し、書き留めることです。書くだけではだめで、あとで読み直すことが大事です。そのときには覚えていたことが、時間が経つにつれて、上書きされて、記憶がすり替わっていることがよくあります。読み直すことによって、記憶が修正され、正確に刻まれていきます。その記録、記憶が、作品を書くときにリアリティを生み出します。創作の場合、このリアリティが作品に厚みを増します。特にそのときに記録した数字は、作品に信ぴょう性、リアリティを与えてくれます。
 日記を読み返す作業は、時として過去の嫌な思い出を思い返すことで、苦しいことです。それは癒えた傷口を開いて、もう一度血を流すことになります。しかし、作家を目指すのであれば、この自虐(じぎゃく)的行為ができる覚悟がないといけません。
 私がテレビ局主催のメジャーな新人シナリオコンクールを受賞した作品は、正にその日記を参考にして書かれたものです。
『グッバイ・ストーン』
http://www.amazon.co.jp/dp/B077LV4VPD
 もう一つ日記を読み直していて、世間を騒がせ、注目を浴びたある殺人事件と私に、重大な接点があることに気がついたこともありました。
『栄光の死角 ~東電OL殺人事件異聞』
http://www.amazon.co.jp/dp/B076YVS5GQ
 この短編小説は、実際の事件を基に書かれていますし、私しか知らない事実を基に書かれているので、読者の興味を惹くらしく、Amazon KDP(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)で23冊(2024年1月現在)出版している本の中では、一番売れています。しかし、実際の事件を扱った事件物と言われるジャンルだけに、映像化は難しいでしょう。しかし、私の推理が当たっていれば、ドキュメンタリードラマでは可能かもしれません。
 今出版しているこの小説は、フィクションを意識しすぎて、ちょっとエンターテイメントに走りすぎて、リアリティが薄れてしまったかと、多少反省しています。しかし、ノンフィクションにすると、プライバシーに抵触するかもしれないので、まあ、こんなものかなと自分なりに納得しています。
 大手出版社が二の足を踏む、こういうキワモノでも、難なく出版できるというのが、電子書籍のいいところです。
 毎日、日記をつけるという作業は、時間と労力がかかりますが、日頃のこうした地道な努力が、後々大いに役に立つので、作家を志す人には必須と思います。
 スポーツの世界でも、コーチは選手に練習日誌をつけることを勧めます。練習日誌をつけることによって、上達の記録が残り、スランプに陥ったときに読み返すと、その脱出方法のヒントを見つけることがあります。日記を読み返したときにもよくあることですが、人間は、同じ所で躓いていることに気づかされます。
 
 もう一つお勧めしたいのが、ブログを書くことです。ブログと言っても、芸能人や一般人が書く、どこへ行って、何を食べたとか、買ったとかいう類(たぐい)の作文レベルのブログではなく、構成のきっちり組まれた、本格的な記事を書くことが、職業作家になるためのいい訓練になります。
 私などは、ひとつのブログを書くのに、2~4時間かけています。それだけ時間と労力をかけて書けば、納得のいくものができますし、読む人には伝わるもので、多いときには、一日1,000以上のアクセスがあります。(2024.1.21現在、133記事)
 ある程度たまったら、Amazon電子書籍KDPで出版しようと思っています。その本のタイトルももう決めています。何事につけ、先の先を読んで伏線を張り、時期が来れば、果実のように次から次とそれら伏線を回収し、結実させていくのが私のやり方です。
 日記の場合は、自分のために書く物ですが、ブログは、人様に読んでもらうための物ですから、読む人のことを思い浮かべながら書くので、小説を書くときに大いに役立ちます。
「こんなことを書いたら、人にどう思われるだろう? この個所は必要ないな。削った方が、文章が引き締まっていい」などと考えながら書くと、文章がうまくなります。
 年配の読者、若い読者、男の読者、女の読者とその立場、気持ちになり切って読んでみると、違った視点で読めて楽しいものです。
 文章は、何を書き、何を書かないかが分かるようになると上達した証です。大体、初心者や文章下手な人は、あれも書こう、これも書かなくてはという強迫観念に襲われて、文章が冗漫になり、肥満体のようにブヨブヨした文章になって、目も当てられない作品になってしまいます。
 しかし、上達すると、過不足なく書いて、十分読者に伝わるようになります。そんな文章が書けるようになったら、あなたもプロの作家として十分通用します。
 マラソンの一流選手や、パリコレにも出る一流のモデル、競走馬のサラブレットのように、無駄な筋肉が一切ない芸術品のような文章が書けなくては、一流の小説家にはなれません。
 野球のバッターでも、ただバットの素振りをするだけでは、筋肉運動にはなりますが、ピッチャーの投げる球種、コースを想像しながら振らなければ役に立ちません。ボクシングのシャドーボクシングでも、ただ手足を動かしているだけでは、実戦では役に立ちません。対戦相手がサウスポーなのか、オーソドックススタイルなのか、ファイターなのか、アウトボクサーなのか、自分より背の低い選手なのか、高い選手なのかをシミュレーションしてやらないと、これまた単なる筋肉運動でしかありません。
 
 もう一つは、メモを取ることです。
 みなさんも経験があると思いますが、人間の記憶力というものは、実にあやふやなものです。
 メモを取るのが面倒くさいと感じる人は、さっさと作家になることに見切りをつけて、諦めた方がいいでしょう。それほど、メモを取るという作業は、作家にとっては、基本中の基本です。
 何故なら、アイデアというのは一瞬の閃(ひらめ)きです。思いついたときには覚えていても、すぐに忘れてしまいます。
 私の場合、アイデアが閃く瞬間というのは、車を運転しているとき、風呂に入っているとき、朝起きる寸前です。
 車の運転中にアイデアが閃くのは、景色がドンドン変わるので、脳が活性化されるからでしょう。そのときは、信号が赤で止まったときに、すかさず手帳にメモをします。
 これと同じ理屈で、旅行に行くといいのは、マンネリ化した日常生活から解き放たれて、初めて見る風景に触れることによって、脳が活性化されます。そのときは、一人旅がいいでしょう。仲のいい人と行くと、日常生活で溜まったストレスを発散させるために、お互い喋っているばかりで何も残りません。一人だと、初めて見る風景を見ながら、脳が活性化されるし、日常生活から離れて、普段は仕事に追われて考えることができない己の人生を振り返ったり、自分を見詰めることができます。
 風呂に入っているときにアイデアが浮かびやすいのは、リラックスしているからでしょう。しかし、風呂から上がっていざメモを取ろうとしたら、「あれッ、なんだっけ!? すごいアイデアだったんだけどな----」と思うのですが、スコーンと忘れて二度と思い出せないことが度々ありました。一度、その失敗を繰り返すまいと、バスタブの横にメモ用紙を置いて風呂に入ったのですが、まったくアイデアが浮かびませんでした。やはり、構えてはいけないということでしょう。あくまでリラックス状態でないとアイデアは浮かばないようです。
 物理学史に残る“アルキメデスの原理”も、アルキメデスが公衆浴場に入っているときに閃き、彼はそのまま風呂から上がって裸のまま自宅にすっ飛んで帰って、その閃きを書き留めたと伝えられています。“ニュートンの万有引力の法則”も、ニュートンが散歩中に、リンゴが木から落ちるのを見て気がついたといいます。
 朝起きる寸前にグッドアイデアが浮かぶのは、睡眠によって疲れた脳が、クリーンアップされるからでしょう。濾過現象のようなものです。学生時代、夜の勉強中ではいくら考えても解けなかった数学の問題が、朝起きてやると簡単に解けた経験は、誰にでもあるものです。それと同じ原理ではないでしょうか。つくづく人間の脳は不思議だと思わずにはいられません。
 小学生の頃、学校の周りが田んぼに囲まれていて、よく校庭でソフトボールをやっていると、田んぼにボールが飛び込んで、みんなでいくら探しても見つからないことがありました。しかし、翌朝一人で探しに行くと、ボールが田んぼに浮いていてすぐに見つけた経験が何度もあります。あれは、ボールが田んぼの泥の中にはまり込んでいたのが、時間が経つにつれて、浮かび上がったのだと思われます。人間の脳も、あれに似た現象で、疲労でアイデアが埋もれてしまっていて、夜眠ることによって疲労がとれて、翌朝起きる寸前に、埋もれていたアイデアが、ポッと浮かび上がるのだと思います。
 脳と言えば、人間の脳は、まだ全体の2%しか使われていないということを、何かで読んだことがあります。
 車の運転など、初めて自動車学校に行って運転したときには、「えーッ、車の運転ってこんなに難しいの!?」と、思ったものです。しかし、今では無意識にスイスイ運転しています。
 ピアノ、バイオリン、ギターなど、最初は、「こんなもの、弾けるようになるの!?」と思いますが、毎日練習を繰り返していれば、いつの間にか弾けるようになります。
 ワープロのブラインドタッチ(注)にしても、私の経験上、毎日1時間練習すれば、1ヶ月でできるようになります。
 私が以前通っていたパソコン教室に、5、6人の若い女性が、「ブラインドタッチ、エクセルなどを一週間でマスターし、会社で即戦力になるように」と指示されて来ていました。彼女らは、昼休み、休憩以外は、一日中パソコンの画面に向かって、悪戦苦闘していましたが、みんな一週間でマスターして卒業していきました。どうやら食費だけは自前で、授業料は会社持ちだったようです。ひょっとしたら、座学と称して、その間、給料も出ていたのかもしれません。しかし、彼女らに投資したカネと時間は、一週間後には、会社の仕事で即戦力になること間違いなしです。
 
(注) 目の不自由な人の協会からクレームがきて、“モーツァルト・タッチ”と呼ぶそうですが、あまり世間には浸透していないようです。モーツァルトは、ピアノの鍵盤を見ないで弾けたことから、このネーミングがついたそうです。私も、キーボードを見ないで、手書きの2倍の速さで打てますし、ひらがな入力、ローマ字入力、両方できます。そんなこんなで、ペンネームにしました。
 調査によると、日本の社会人の約7割の人が、このブラインド・タッチ、いや、モーツァルト・タッチができないそうです。
 
 最後に、これは私の経験上、作家志望者に是非実践してほしいことがあります。
 それは、一生懸命に生きることです。
 小説家を目指したからと言って、すぐになれるというものではありません。気の遠くなるような年月と労力がかかります。その間、正社員として生活が安定している人はいいでしょうが、多くの作家志望者の人たちは、アルバイトで生活費を稼ぎながら書き続けるという、いつゴールにたどり着けるかもわからない、気の遠くなるような生活をしいられます。42.195キロのフルマラソンより長い、超長距離レースです。
 最近読んだシドニー・シェルダン作『私は別人』(1995.2.25第一刷・アカデミー出版)という小説では、俳優志望者が主人公ですが、こういう生活をしている人たちを、“食いつなぎ人種”と呼ぶそうです。アメリカは人種の坩堝(るつぼ)なので、この呼称が合っているかもしれません。が、あえて日本風にアレンジして、“食いつなぎ族”と呼ばせてもらいます。
 私の知る限り、そんな生活に疲れ果てて、途中で挫折する人がほとんどです。
 私もそうであったように、正社員ではないので、何かトラブルを起こすとすぐにクビになります。正社員と違って、あなたを守ってくれる労働組合などありませんし、解雇予告手当も、失業手当もありません。その結果、職を転々としなくてはいけなくなります。しかし、そのことにくさってはいけません。職を転々とすれば、その数だけ多くの職種が体験でき、視点も増えて、将来作品に使える色んな出来事や、癖の多い、いろんなキャラクターの人物に出会うことができます。そう自分に言い聞かせて、我慢しましょう。
『忍耐する者は、欲しい物を手に入れる』というのは、真実です。
 嫌なことがあっても、我慢に我慢を重ねていると、不思議と必ず運が向いてきます。そのとき、そのグッドタイミングを見逃さないで、前髪しかないチャンスを摑みましょう。
 いわゆる世の中の正規軍ではない、言ってみれば雇い兵、傭兵(ようへい)のようなものです。
「あなた、仕事は何をしているの----?」「役者です」「あら、そう----。で、どこのレストランで働いているの?」
 というアメリカンジョークがありますが、作家志望者も同じようなものです。しかし、この中から、最後の最後まで諦めなかった人だけが、栄光と名誉を手に入れ、成功の美酒に酔いしれることができます。
 そんなアメリカの若者の一人が、ある日、船員のバイトを見つけて面接に行きました。面接した人が、
「君、役者を目指しているんだって? 私の知り合いに、舞台関係の仕事をしている人がいるから、紹介してあげるよ」
 と言われ、彼は船に乗らずに舞台の上に上がりました。
 そして、その舞台公演を観た映像関係の人から声が掛かり、彼はそれがきっかけで映画に出演し、やがて映画史上に残るスターになりました。彼こそ、“永遠の青春スター、ジェームズ・ディーン”です。要は、やり始めたら、成功するまで諦めないことです。
 そんないつ終わりを迎えるは分からないバイト生活を続けていると、「どうせ、自分は正社員じゃないバイトだから----」と、手を抜くことを覚えます。しかし、仕事に手を抜くとそれが癖になり、何をやっても手を抜くようになります。給料の安い、待遇の悪いバイトだからと自暴自棄にならず、一生懸命にやることです。そうすれば何かが見えてきます。そして、いつか運命の女神は微笑んでくれます。
 新人が世に出るには、「どう書くかではなく、何を書くか」です。「間隙(かんげき)を突く」「隙間(すきま)産業」という言葉がありますが、「ああ、こんなことがあるんだ。こんな人がいるんだ。こんな素材があったんだ」というように、プロの作家でも見逃している題材を書くことです。そういう作品を書くと、新人コンクールに入選できます。一生懸命に生きていると、不思議とそういう題材が見つかったり、向こうからやってくるものです。
 私は中学のときにテニス部に入っていましたが、そのときのコーチがこんなことを言っていました。
「練習が終わって、すぐに帰ってしまう人より、最後まで残って、練習道具のあと片付けや掃除をして帰る人の方が、不思議とうまくなって選手として伸びる」
 あの頃は、今と違ってまだ純情で素直だったので、その教えを守ってやっていたら、3年生のときに郡の大会で優勝しました。今でも、この言葉を時々思い出しては、事あるごとに実践しています。
 人生の早い段階で、いいコーチに出会ったものだと今でも感謝しています。
『一日に千里の道を行く馬はいつもいるけれども、それを見つける伯楽はいつもいるわけではない』『才能のある人は、よくいるけれども、それを見つけて育ててくれる人はなかなかいないものだ』という中国の諺です。この諺通り、いい師はなかなかいないものです。シナリオを勉強しているときも、2個所のシナリオ教室に通い、いい師に出会ったのは、5人目でした。ここでも、諦めなかったことが功を奏したようです。
 手術が必要な大病したときも、最初にいい医師に出会えればいいですが、ダメな医師に出会うと治るものも治らず、最悪死に至ります。
 私などは、胆石になったときに、10ヶ所の病院をはしごしました。最後の最後で、図書館で借りた本に載っていた病院に胆石科というのがあり、そこでお腹を切らずにやる“腹腔鏡下胆のう摘出術”という手術をやり、今日まで生き延びています。
“人間万事塞翁が馬”とはよく言ったもので、主人公がその手術をやるに至るプロセスをシナリオに書き、テレビ局主催のメジャーなシナリオコンクールに応募して入選するという幸運まで呼び寄せてしまいました。
 一生懸命に生きていれば、こういう幸運が舞い込んでくるものです。
 社会人になったとき、営業の仕事をやらなくてはいけなくなり、研修のときに、「自分は数字に弱いから、営業に向いてないと思うのですが----」と言ったら、「数字は関係ない。営業は成約したかしないかで、あなたの一生懸命さが、お客さんに伝わるかどうかです」と、ベテランの営業マンに言われ、その通り一生懸命やっていたら、トップクラスの営業マンになっていました。
 何事も一生懸命にやっていれば、いつか必ず運命の女神は微笑んでくれるということです。
「人は見ていなくても、神は見ている」という言葉を信じて、コツコツ努力して、少しずつでも目標に向かって、前に進みましょう。
 
  (三)小説家になる!! に続く

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