見出し画像

遺書。(第7章〜個を磨き、放て〜)

親愛なる君たちへ。
君たちがこの記事を読んで理解できているとしたら、おそらく早くても今から10年後くらいだろうか?

この記事を書いている今、2024年。
世の中は日々進化・変化し、特に社会のあり方や働き方が大きく変化しつつある時代の過渡期に差し掛かっている。

君たちが成人する頃にはそれはさらに加速し、今現在では考えられない混沌とした社会の中で、さぞ生きづらさを感じながら生きていることだろう。

しかし時代が変わっても普遍的なマインド・行動原則があり、私はそれを指針に今を生きている。
10年後生きていたとしても、おそらくそれは変わらないだろう。
そんなエッセンスを、何章かに分けて書き、伝えていきたいと思う。

さて、今日のテーマにいこう。

「"個"を磨き、放て。」

常に個を持ち、個を磨き、放ち続けよ。
にわかには何を言っているかわからないだろうか。

我々は人生のうちに、望もうが望むまいが、組織体というものに属する局面にほぼ必ず出くわすことになる。

組織に入れば個が薄くなる、または無くなる。
これはある種仕方のないことと諦めている人がほとんどかもしれない。
こと日本社会においては往々にして、その傾向が強いとも言われている。

出る杭は打たれる。
少し目立てば叩かれ、協調性がないと仲間はずれにされることもある。
少なくとも今の日本社会には"お利口さん量産体制"がしかれ、そこかしこに金太郎飴たちが毎日同じ動作を繰り返す日常が繰り広げられている。学校生活などその最たるものかもしれない。会社もそうだ。

決して組織体というものを真っ向から否定しているわけではない。
日本、日本人の良さが、組織という形で世界で称賛されている部分も確かにあるし、そこに居心地の良さを感じる人種も大勢いる。
正直なところ居心地の良さこそ感じてはいないが、今の私も大なり小なり組織体の中にいる。
そもそも日本という民主主義国の一員として生きていること自体がそういうことになるわけだが。

しかし、我々は"個"である。
ひとりの人間としてこの世に生を受け、使命をもち、周囲の愛を受け、時に試練と向き合い、各々のストーリーを作り上げていく。

その尊い"個"が、組織体に属するという行動によって薄まったり、無くなってしまうことは実に悲しいことだ。

第5章を読んでくれただろうか?

ここで、「自分のArtistry(芸術性)を意識し、向上に努めよ。」と伝えた。
腹落ちしているだろうか?

君たちは素晴らしい"個"だ。
この世に他に誰一人として存在しない、後にも先にも存在しない、実に尊い存在だ。
誰もが尊い、たったひとつの"個"だ。

どんな組織に属したとしても、"個"を磨き、放ち続けてほしい。

異端児になれれば最高だが、別に無理して目立つ異端児になる必要はない。
調和する"個"になるのもいい。
ただ間違えないで欲しいのは、"個"ありきで自ら調和しに行くことと、受動的に、無意識に、無感覚に染まる個になることは全く別次元であるということだ。
時に戦略的に染まることはあっても良いだろう。
しかし他人から完全にコントローラブルにされる人間にはなるな。
違和感を持ったなら、しなやかに反発せよ。

私は自分のことをだいぶ異端児だと思っている。良くも悪くもだが。
相当な変態的性質を持っていることを自覚している。
だが一方で、決して多くの人に白い目で見られる空気の読めない異端児ではないとも自覚している。
組織体に上手に調和することができるのだ。
(少なくとも自分ではそう思っている・・・。)

"個"を持ち、磨き、孤高にそれを貫いていく。
"個"を持ち、磨き、それを調和という形で解き放つ。
どちらでもいい。
自分に合ったやり方で"個"を生かしていってほしい。

話をまとめよう。
言いたかったことは2つ。
・"個"を強く持て
・その"個"を、自分なりに上手に解き放て

本当はもっと具体に書きたいところだが、あえて余白を残すことにする。
自由に解釈してみてくれ。

君たちに改めて言いたい。
生まれてきてくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?