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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第十四回 蝉、逃げ遅れたあと

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
小夏の起こした爆弾事件の重要参考人とされながらも鈴木の周辺は不気味に静かだった。真っ先に逃げたボスの尻拭いをするために鈴木は黙々と残務処理をしていた。

「小夏ちゃんのやったこと、私がずっとやりたかったことでした」
 俺は思わずキムの顔を見た。いつもの張り付いたような微笑みに、少しだけ笑顔が混ざっている気がした。
「馬や牛のように扱われたほうがいっそ楽だと思うことはあります。でもやっぱり馬や牛にはなれないのですよ。人間ですもの。死にたくなるほど辛くたって、人間であることは、どうやったってやめられないんですよ。だから」
 キムはまっすぐに俺を見た。本当に年甲斐も無い悪戯に喜ぶような顔だ。
「小夏ちゃんに会ったらよろしくお伝えください」

あらすじ


Chapter 13 蝉、逃げ遅れたあと

 業務は停止していた。
 児童福祉局が入ってきたわけじゃない。とにかくそれどころじゃなくなった。
 杉浦に呼び出される前日、つまり事件の翌日にはボスは雲隠れをしていた。
 会った時はいつものようにボスの自室で葉巻を吸いながらだった。
 番犬みたいな運転手ががさごそと荷造りをしていて落ち着かなかった。
「どこへ行くんですか?」
 一通り話が終わって俺は尋ねた。
「ほとぼりが冷めるまで馴染みの宿にいるよ。夏だし骨休めも兼ねてね」
 口調はゆったりとしていたが余裕がないのがわかる。しきりに葉巻をふかしていた。その煙で気持ち悪くなった。
「海の近くにあるんだ。夏だし、ちょうどいいんじゃない?鈴木君も色々片付いたら呼ぶからそれまではしばらく留守を頼むよ」
 簡単に冷めるようなほとぼりには思えなかった。それから一週間、なんの音沙汰もない。
 
 うちの「タレント」達はボスと付き合いのある同業他社へ一時的に移籍させた。一時的といってもいつまでかはわからない。
 その送りをやったのは田中だ。
 社宅のマンションの下で後部座席に女を乗せて出発前に田中と少し話した。蝉がうるさかったし、目の前の公園では夏祭りの準備が終わって浴衣を着た子供たちが集まり始めてうるさかった。日が沈みかけて蚊かここぞとばかりに飛び始めていた。
「俺、この一件が片付いたら軍へ志願しますよ」
 田中の顔にも後ろ向きなのか前向きなのかわからない情熱が溢れていた。しかしそんな決意表明をされて俺はどうすればいい? 
「なんだ?愛国心にでも目覚めたか?」
「それ、面接でウケますかね?」
「痛いやつされて終わりだろ」
 田中は二の腕に止まった蚊を叩き潰した。蛸のタトゥーに田中の血の赤が斑点を作った。
「それよりサイコっぷりをアピールした方がいいかもな。お前の拷問はちょっとした才能だぞ」
「そんなにヤバいですか?俺は鈴木さんのいったことをやっただけですよ。でも言われればとことんやりますよ。軍でもね」
 田中は吸っていた煙草をドリンクホルダーに挿した缶コーヒーに突っ込んだ。もう吸い殻でいっぱいだ。灰と吸い殻のフィルターが助手席側の足元に溢れた。
 俺は後部座席に座っている女を見た。田中に舌ピアスを開けられた桜子は脇にキャリーケースを置いていた。俺達のやり取りに一切関心を示さず携帯ゲーム機をいじっていた。
「とにかく気をつけていけよ。安全運転だ。交通違反なんかしてそこから逮捕なんてのは勘弁だからな」
 田中と桜子は実家に帰省する兄妹だ。そのために身分証明書まで作ったんだ。
「前科があっちゃ徴兵センターで弾かれますからね。わかってますよ。これでも少年刑務所出てからはクリーンなんですよ。知ってます?年少の出所近くなると軍のスカウトが来るんですよ」
 田中は車を発進させた。
 俺は田中の車の後ろに留めてあった自分の車に乗り込んだ。小夏が大原を殺した夜に置き去りにしてきた車は暴動に巻き込まれ完全に破壊されていた。中古車_屋に飛び込んで適当に選んだありふれた国産のバンだ。クリーニングが不十分なせいで車内には前の持ち主の体臭がかすかに残っている。
 エンジンをかける。しかしだからといって特に目的地もない。回り始めたエアコンの無機質な匂いが顔を冷やす。日除けを下ろして正面からの西陽を遮りそのままシートにもたれかかる。
 しばらくそうしていた。
 
 誰かが助手席側から俺を覗き込んできた。キムが立っていた。ウィンドウを下ろす。
「私もお役御免ですか」
 いつもの微笑みは西陽で半分に切り取られて、足元には長い陰が伸びていた。キムには警察の捜査が入りそうだからと伝えてある。
「ほとぼりが冷めるまではね。また連絡するよ」
「鈴木さんはお逃げにならないんですか?」
 キムはなぜかいつも事情を察している。安藤は翌朝には出勤してこなかった。田中も戻ってくるか怪しい。そしてボスが逃げたのも知っているのだろう。
 なぜ逃げないのか。今でもわからない。そしてその時は逃げるという発想がなかった。
「仕事は逃げるのが一番大切ですよ。逃げ時を逃して続けてこんなおばあちゃんになった私が言うのですからね」
「俺は逃げられる側の星の下に生まれたみたいだからもうしょうがないよ」
 父親は俺が生まれる前に、母親は俺を浜辺に置いて逃げた。
 そして今度はボスに逃げられた。
 キムがくすりと笑った気配がした。何かを言いかけたが祭のスピーカーが流行曲を流して始めたのと、オレンジ色の照明が一斉に灯って集まっていた子供たちかあげた歓声にかき消された。
 キムの顔を見た。オレンジ色の灯りに照らされて微笑みはいつもより穏やかに見えた。
 そんな顔されてどうしろっていうんだ。
「でもさ、約束通り夏休みをあげれるよ。海のほうでも行ってきたら?ほら、言ってたでしょ」
 俺はなにかを誤魔化すように早口でまくし立てた。
 そして気がついた。キムの微笑みは微笑みではない。その瞬間、キムの表情は嘲笑にかわった。同じ表情筋の動きのまま。
「ええ、棚からぼた餅のような気持ちです。海なんて、もう何十年も行っていません。アイスキャンディーでも食べながらのんびりさせていただきますよ」
 細く線のように横へ伸びた瞼の隙間から見えるキムの目は俺を嘲笑っていた。
 オレンジのぼんやりと暖かい灯りに照らされて、キムは嘲笑っていた。少なくともそうとしか見えなくなったんだ。もしかしたら俺の被害妄想かもしれないが。
 どんどんどどかっ
 太鼓が鳴り始めた。近所の子どもたちが打っている。
 音割れした流行曲に合わせて、というか合わせようとするリズムはぎこちない。
 キムは表情筋を笑みの形に固定している。
「鈴木さんもいらっしゃればいいのに。このままこのお車で」
 俺は「ははっ」と声を出して、その後を太鼓が埋めた。
 多分、その表情はグロテスクなくらいぎこちなかっただろう。俺も、キムも笑っていた。多分、すごくグロテスクだったと思う。笑ってなんかいなかったから。
「もしよろしければご夕食をご用意しますよ。冷蔵庫の中身を使い切りたいので沢山作ってしまいました。せっかくですのでお召し上がり下さい。鈴木さんにはご親切にして下さいましたので」
「ありがとう。でも、せっかくだけどこれからちょっと行くところあるから」
「そうですか。それは残念です」
 キムは一層深く笑った。俺を嘲笑いながら食べる飯はきっと美味いだろう。俺は目礼を送ってウィンドウをあげようとした。キムが手に提げていたらしい保冷袋を俺に差し出した。
「ちょっとしたものですがお弁当にしてきました。召し上がれなければ捨てて下さって構いませんので」
「餞別ってやつかな?でもありがとう。キムさんのご飯好きだったよ」
 俺は弁当を受け取りながらわざと皮肉っぽく言った。でもキムの料理が美味いのは本当だ。キムはそのままの笑みのまま答えた。
「まさか餞別だなんて。ほとぼりが冷めたら呼び戻して下さるんでしょう?」
 そしてふふっと笑った。そのまま続けた。
「やっぱり鈴木さんもこのままどこかへ行くのがよろしいかと思います。私は正直に申し上げますと若い方が羨ましいんです」
「若いってだけじゃだめだよ。それだけじゃ自由にはなかなかなれない」
 前を見たまま答えた。ハンドブレーキを外していかにももう出発するという様子を演じる。
「若いというだけでずっと自由です。小夏ちゃんのやったこと、私がずっとやりたかったことでした」
 俺は思わずキムの顔を見た。いつもの張り付いたような微笑みに、少しだけ笑顔が混ざっている気がした。
「どうかされました?驚いたお顔をされて。女の子たちのお世話をしていたのは私ですよ。こんなおばあちゃんでも小夏ちゃんのお部屋にあったものを見ればわかりますよ」
 キムは口に手を当てて笑った。
「馬や牛のように扱われたほうがいっそ楽だと思うことはあります。私たちは。でもやっぱり馬や牛にはなれないのですよ。人間ですもの。死にたくなるほど辛くたって、人間であることは、どうやったってやめられないんですよ」
 キムは微笑んだまま話して、微笑んだまま黙った。祭りのざわめきは大きくなっている。キムの後ろを10歳くらいの兄妹が歓声を上げながらざわめきの中へ消えて行った。
「小夏ちゃんに会ったらよろしくお伝えください」
 そう言うとキムは手に提げた弁当袋を助手関の窓から俺に差し出した。
「早めに召し上がって下さいね。傷みにくいものですが夏場は足が早いので」
 キムはマンションへ引き返しかけた。俺はその肩越しに言った。
「逃げたところで今よりマシになる保障がないならどうすればいいと思う?」
「保障なんてどんなものにもありませんよ」
 キムは顔だけ俺に向けて答えた。
「ただ逃げ遅れて損をする人はいても、逃げ遅れて得をする人はあまり見たことはありません」
 それだけ言うとマンションへ歩いていった。
「いつも美味しかったよ。ありがとう」
 キムは振り返らず前を向いたまま会釈を返した。
 
 助手席にはキムのの弁当袋が置いてある。なにかの雑誌の付録でついてくるような兎のキャラクターがプリントしてあって、中は銀色のフィルムが貼ってある。
 桜子を放出して、事務所の「証拠物件」になりそうなものも処分した。田中も安藤もキムもそれぞれどこかへ逃げた。もう俺がやることはなかった。事実上の失業だ。

 ただしボスの指示で顧客リストとデバガメ写真だけはなんとか確保している。いざという時の備えが必要になる「いざ」が来たらしい。
 この情報を抱え込んでいることが唯一の仕事らしい仕事だった。
 どこへ行こうかとぼんやりと考えながら車を走らせたが、なにも思いつかなかった。

第十五回に続く
隔日更新予定
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