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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第四回 セックス・アンド・ザ・シティ

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
鈴木は南方から仕入れた少女の世話を部下の安藤に任せ、”ボス”に仕事の報告をする。

「裸に毛皮だけ着せて、彼女の宝石箱から一つ残らず出させて、身につけさせるんじゃないですよ。体の中に入れていくんです。馬鹿馬鹿しいといってしまえばそれだけだけど、なにかの意味は感じさせられたよ。世界中でこんなことがやられていると思うと、気が狂いそうになったけど、妙に落ち着くんですよ」

あらすじ

Chapter 3 セックス・アンド・ザ・シティ

「資本と人間との関係、あるいは愛、これこそが僕にとって探求すべき命題だ」
 陽が大分傾いてはいるがいつもカーテンが降りていて薄暗い。白と黒を基本に揃えられらた家具。ボスの部屋はいつもモデルルームや家具屋みたいだ。
 ボスとローテーブルを挟みソファに対面に座っている。ボスはいつもスーツを着ているがビジネススーツではない。シルクのつるっとしたジャケットにディオールのドレスシャツ、カフスボタンには小ぶりな翡翠がはめ込まれている。
 壁にスピーカーが埋め込まれたスピーカーからは音楽なのか環境音なのかわからない音が漏れている。ボスはテーブルの上に置かれた金属のケースから細巻のシガリロをつまむとガスライターで慎重に着火した。
「昔こんなことがあった。マダム、とはいっても今の僕よりは大分若かったんだけど、僕を贔屓にしてくれるご婦人がいてね。そのマダムが一番好きだったのは宝石と香水と毛皮で、まあその手のご婦人にとっては永遠なんだよ、その三つは」軽く、ハッと笑う。口を開けたまま蝋燭を吹き消すような笑い方だ。
「僕が部屋に呼び出されると、バスタブを泡だらけにして、そこで香水の瓶を全部割って、破片で僕のお腹を軽く傷付ける。骨を折ったり、血をたくさん出したりっていうのはあまり流行らなくなっていたからね。血と香水とシャボンの香りで目をトロンとさせちゃって。まあつまらない前戯みたいに聞こえるかもしれないけど、僕の頃にはフェティッシュとか精神分析とかそういうのが流行っていて、ご婦人同士のティーパティーではその手の話題で持ちきりだったよ。何度かマダムに連れられて行ったけど、そういう社交の場では美容院やブティックに並んでご贔屓の分析医を紹介しあってた。まあ今だったら精神科なり心療内科で不安神経症とか境界性人格障害とかDMSⅢに則った診断名がついて薬が処方されるんだろうけど、あのご婦人たちに言わせればそんなものは不動産屋が絵画につけた何億円だかの値札みたいに無粋だってことになる。もちろん薬も処方されることがあったけど、マダム達は処方箋だとか薬剤手帳だとかもレシピって呼んでね。ハーブティーの調合みたいに」
 相変わらずなにを言っているのかわからない。コカインとかなにかをキメていてほしかったが、ボスは基本的に酒すら飲まない。食事の時にワインを多少飲む程度だ。手元には重そうなガラスの灰皿と、デカンタに注いだミネラルウォーターと背の高いグラス。やけに細い指にはトライバル風の凝った彫刻が施されたシルバーのリングと、小指の爪くらいの翡翠がはめ込まれたリング。その間に挟まれたシガリロからは細い煙が定規で引いたみたいにまっすぐ上がっていた。
「よく僕も彼女お抱えの分析医のところに一緒に行ったよ」
 短くシガリロに口を付けて、軽く顔を上に向けて煙を口の中で回す。煙を吐き出すのではなく口から溢れさせる。その作業に集中している間は言葉が途切れる。紙巻煙草は吸わない。紙の燃える匂いが嫌いだという。俺もボスのシガリロの香りは気にならない。
「並んで安楽椅子に寝転がって、分析医と一緒に彼女の喜びそうなことを耳元で囁く。消せない罪悪感とか、悪夢とか、トラウマについての分析をね。するとヒステリー症状ののちにエクスタシーに達しちゃう。カタルシスかな。まあフロイトが知ったら驚くね」
 灰が全部落ちてしまうと燃焼温度が上がりすぎる。注意深く灰皿で余計な灰を処理している。手元に顔を向けたまま言葉を続けた。俺は経文のように聞き入る。
「宝石ももちろんたくさん使いましたよ。人気だったのはトバーズ、アメジスト、あと翡翠」軽く手を振って自分のリングにはめ込まれた翡翠を示す。
「裸に毛皮だけ着せて、彼女の宝石箱から一つ残らず出させて、身につけさせるんじゃないですよ。体の中に入れていくんです。馬鹿馬鹿しいといってしまえばそれだけだけど、なにかの意味は感じさせられたよ。世界中でこんなことがやられていると思うと、気が狂いそうになったけど、妙に落ち着くんですよ」
 グラスから水を飲む。ボスが空になった俺のグラスに注ぐ。
「日本人だからかな?どうだろう。あの祝祭みたいな戦争に負けはしなかったけど、勝ちもしなかった。戦勝国の躁状態も致命的な破滅も味わえなかった欲求不満、つまりフロイトにいわせればリビドーもデストルドーもこの列島のイドに抑圧されているんだ。かといって今更になって大艦巨砲主義をいきり立たせても、核が標準化して相互確証破壊が基本戦略になった世界秩序では誰にも相手にされない。
 そういえば僕が子供の頃に東南アジアのジャングルで核を使っちゃった大統領がいたけど、パートナーをうっかり絞め殺しちゃった下手なS男みたいな顔してたな。まあ核を溜め込むなんて使えないほど巨大なディルドを集めるみたいなことだよ。純粋たるフェティッシュだね」
 また煙を吸う。
「この国ではまだ前世紀的ロマンティシズムが有効なんだよ。ただし懐古主義的に歪んだ形でね。フェティシズムの定番が相も変わらずミリタリズムなのもその表れさ。しかしいつの間にか円が世界で最強の通貨になると、今度は資本によって相手をレイプする快楽を覚えた。軍装コスチュームプレイよりハードな遊びだ。円が最強通貨だったころがあったんだよ。僕が君よりすこし若かった頃にね。
 世界中の美術品や、都市のランドマークを買い占めて企業の名前を冠した名前にかえる。キスマークみたいにね。そしてご婦人は宝石でお腹をぱんぱんにして喘いで、紳士は円をポケットに詰め込んで週末は外国で少女を買い漁った。毎日が祝祭的だったね」
 ボスはうっとりした顔で水を飲んだ。瞳孔が開いている。
「国家的変態だってよく外国から後ろ指指されるけど、僕に言わせれば愛があるがゆえだよ。この国と資本を不可分に繋げる愛がね。変態的現象や行為はそれに従じているに過ぎない。
 僕の友達に、鼻から吸うのが大好きなやつがいてね。愉快なやつだったな。そいつは一万円札のストローをいつもポケットに入れていて、吸い込むたびに言うんだよ。資本主義は最高に芳しいって。目を真っ赤に充血させてね」
 愉快そうに声を上げてしばらく笑ってからボスは突然に黙った。シガリロはもう灰皿に置かれたまま火が消えている。テーブルの上にある俺が持ってきた書類を指先でいじっている。俺は言葉を待った。
「今回は出張ご苦労だったね。ああ、田中君に行かせたんだったね。どう、彼は?使えそう?」
 突然話しかけられて俺は舌がもつれてた。それを見てボスは愉快そうに鼻を鳴らした。
「まだ半年ですがよくやってくれていますよ。先日の件は改めてよく注意しておきます」
 客と逃げようとした桜子の件だ。提携しているクリニックに入院させている。
 脱走は左右上下の奥歯と舌ピアスと田中は独自に決めていた。体に傷を残したり、最悪死なれたりしたら元も子もないということで考えたのだろう。
 ほぼ水平までリクライニングできる椅子に女を固定すると、通販で買ったという開口器を咬ませる。部屋に踏み込んだ時はうずくまって泣いていた桜子も、ペンチが口内に入ると目を見開いて暴れた。構わず田中は一本ずつ慎重に抜いた。女のまだ小さい口内の歯を抜くのはかなり集中力が必要らしく、金髪の生え際に汗が浮かんでいた。
「暴れると抜く方向がぶれて余計に痛いぞ」
 慎重な手付きは痛みを長引かせようということではなく、田中の罰リストへの忠実さを表している。情報を引き出すためにする拷問ではなく罰であって、痛みは付属品でしかない。4本のうち2本は乳歯だった。
 リクライニングを戻すと桜子の口元にテーブルをあてがう。田中の舌を出せという命令にも大人しく従った。なにをしても田中は中止しないし、田中に従ったほうが痛みが最小で済むと理解したのだろう。舌苔のたまっていない綺麗なピンクだった。田中は口から突き出した舌の下に煮沸消毒をしたまな板を敷くと、左手でペンチも持ち女の舌を固定する。残った右手で構えた大振りなアイスピックを構える。女と田中の目が合う。おかしな話だが、信頼関係のような気配があった。女は瞬きもせず目を見開いたままだ。
「動くなよ。下手に動くと舌が裂けるからな」一気にアイスピックを振り下ろす。トン、と音がして薄いプラスチックのまな板が貫通した。
 間もなく退院させる予定なので、昼間一度様子を見に行ったが、しばらくは安藤に付き添わせる必要があるだろう。自殺でもされたら後が面倒だ。
「あれは少しやりすぎでした」
「まあ彼はもともとその手のことが専門で勝手が違うからね。でも君じゃできないでしょ?ああいう仕事は。どうしてもそういう教育が必要な時があるんだよ」返す言葉が見つからずもごもごしているとボスが続けた。
「君だって最初は今みたいなマネージャーとして入ったんじゃないからさ。ま、部下はうまく使いなさいよ」
 俺も少年愛趣味の変態相手だった。その時のマネージャーがボスだ。独立する時に俺を自分の部下として引き抜いた。売られる側、売る側の両方を俺に教えた。俺はずっとボスにうまく使われている。
「新しく入った娘はどう?」
 ボスの手元の書類には小夏のプロフィールが印刷されている。今日の昼間に撮影した宣材のラフも添えてあった。
「また名前は安藤君でしょ?」
「ええ、安藤です。相変わらず名前には無頓着なようで」
「彼女はそのクールさがいいね。仕事へのスタンスの取り方が上手い」
「その安藤の見立てではなかなかの上玉ですね。しかし多少の教育が必要ですが」
「その辺りは君が得意でしょ。任せるよ。ところで」
 膝に落ちていた灰を払いながら立ち上がる。
「久々に飯でもいこうよ。予約してあるんだ、いつもの店」

第五回へ続く
隔日更新予定
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