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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第十七回 閃光、鈍痛、失禁

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
鈴木は逃げようとした空港から連れ出されボスに爆弾魔として出頭するか爆弾魔として自殺するかを迫られる。空港の駐車場で何者かに襲撃される。

ほんのすぐ先で田中が足元を棒で打っていた。多分、俺をここまで抱えてきた男の頭を割っているのだろう。
 田中が警棒を振るたびに俺の顔に何かの液体が筋になってかかった。脳漿と血液だ。

Chapter 16 閃光、失禁、鈍痛

 職員用駐車場に停まっている車は少なかった。
 ビルの陰から黒いワゴン車が出てきてこちらへ曲がってくる。運転席に田中の顔が見えた。田中は俺を見るとにかっと笑った。右の頬からこめかみににかけて大きなガーゼが当ててある。腕は包帯だらけだ。
減速していたとはいえ走っている車から飛び降りてその程度で済んだなら本当にタフなやつだ。
 田中はワゴンを俺たちの脇にゆっくりと停めて運転席から降りてきた。ボスは暑いから中で待つと言い助手席に乗り込んだ。
 田中は車の前を回り込んで俺の前に立つとまたにかっと笑って煙草に火をつけた。
「お久しぶりです、っていってもそ昨日ぶりっすね。正直あのまま飛ぶつもりだったんで、また鈴木さんと会ってるのなんか変な感じです」
「ニュース見たよ。よく無事だったな」
「まさに危機一髪ってやつでしたよ。後ろで櫻子がキャリーがさごそやってるなと思ったら中身が丸々一斗缶で、やばいと思って飛び降りたらドカンでしたよ」
 田中は携帯デバイスを取り出してニュース映像を再生した。それを俺に見せる。
 スロー再生に編集されていた。後部ガラスから櫻子の頭が見えた。そして水に赤とオレンジの絵の具を垂らしたようにゆっくりと爆炎が広がっていく。
「でも、すごくないっすか?映画みたいですよね。ニュース見た知り合いからも電話かかりまくってきて、あれお前だろって。しかもニシの交番のやつも電話してきたんすよ。お前は仕事しろって感じですよね」
 そう言うと田中は勝手に笑った。
「そしたらあいつ警察辞めて軍に行くとか言うんですよ。マジかよって。俺なんかこう顔が広がっちゃ軍にも入れないし、マジ人生設計狂ったわ。で、こうして出戻りですよ」
「櫻子は何か言ってた?」
「何かって?なにをです?あいつ、ずっと黙ってて、舌ピが定着してないのか心配になってくらいですよ。それでいきなりドカンですからね。最後まで訳のわかんない女でしたよ、マジで」
 俺の後ろに立っていた犬が動く気配がして腕を掴まれた。そろそろ時間だと言いたいのだろう。それを察した田中がスライドドアを開ける。
「ま、乗ってくださいよ。鈴木さんには色々お世話になったし、飯も奢ってもらったし、だから手荒な真似はしたくないんすよ。ここで立ち話してると警備員が寄ってきてうるさいんですし。悪いようにはしませんよ、マジで」
 抵抗しても無駄だとわかっていた。俺は田中が開けたスライドドアから乗り込んだ。車内にはボスの香水の匂いが漂っていた。エアコンがききすでいた。
 そのまま奥に座る。右側にはドアはついていない。そのまま左側から犬が乗り込んできた。逃げ場はない。
 運転席に田中が乗り込んでくる。
「なんかやっときたいことあります?女抱くとか、っていうか鈴木さんはそういうのなさそうっすよね」
「そうだな、言ってみろよ。できるだけ叶えてやるぞ」
ボスがバックミラーごしに俺を見た
「このまま海でも見に行くか?近くのベイにボート留めてあるしな。この辺りで花火大会があるんだよ。波に揺られながら花火見物っていうのもなかなか乙なものだろ」
「お、いいっすね。俺、船舶免許持ってますよ。小型だけど」
「お前に言ってんじゃないよ」
 また田中が笑った。ボスと田中は俺を置き去りにして今夜の予定を相談し始めた。
 その時、ビルの陰から二人の人影が近付いてくるのが見えた。背格好からしてかなり体格がいい。後部座席の窓はスモークが貼ってありよく見えないが、警備員の制服を着ている。立入禁止区域にいる不審車に注意をしにきたのだと思った。
 警備員が運転席側に立って初めて田中が気付いた。窓を下ろす。目深にかぶった帽子のせいで顔がよく見えない。もう一人は助手席側に回ってきた。
 警備員に田中は適当な言い訳を言ってから後ろを振り返る。
「ま、そういうことなんでとりあえず出しましょうか。行き先はおいおい考えるってことで」 
 田中が言いかけたところで運転席側にいた警備員が腰に手を伸ばすのが見えた。まさか銃ではないだろう。無線機かなと思っていたが、腰のポーチから拳くらいの塊を取り出して窓から車内に投げ入れた。そして身をかがめて俺の視界から消えた。
 なにをした?
 そう思って投げ入れられたものを見た。それはちょうどシフトレバーの後ろに落ちた。   
 車内にいた全員が見ていた。
視界が真っ白になった。
 そこで記憶が飛んだ。その直前に田中がダッシュボードに手を伸ばしたのが見えた気がする。
 
 左右から担がれるようにして歩いていた。いや、引きずられていたというほうが近い。  
 俺を引きずる誰かは俺の腕を首に抱えるように進んでいた。
 視界はほとんど白く焼けついていた。左右から抱えられているというのも感触で察したものだ。汗ばんだ肌を両方の腕に感じる。
 まともに機能する感覚は触覚しかなかった。耳元で歯医者のドリルを10本束ねて回されているような耳鳴りしか聞こえない。三半規管もおかしくなっていて下がどちらなのかもあやしい。ひどい車酔いになったように吐き気もする。つまり気分は最悪だった。
 車内に投げ込まれたのは映画なんかで特殊部隊が人質救出の時に使う閃光手榴弾だったのだと思う。音と光で相手を怯ませて突入する道具だ。
 そんなものを狭い車内で爆発させたのだからまともに見えるわけもないし、聞こえるわけもない。俺は脇を抱える左右の人間の湿った肌の感覚だけを頼りに進んでいた。
 右腕に殴られたような衝撃があった。反射的に腕を引っ込める。左側側の人物に俺の体重がかかりよたつく。痛みはない。俺の右半身を支えていた人物が殴られたのだとわかる。その衝撃が俺にも伝わったのだ。
 振り返った。しかし視界はほとんど焼けついたままだし、さっきまで乗っていたワゴンのヘッドライトが正面から照らして視界は影絵のようだ。何も見えない。
 影絵の男が肩をおさえてうずくまっていた。その脇に立つもう一人が手に持った棒を振り下ろしたのが見えた。それは頭にヒットした。殴られた男はその場に倒れ込んだ。棒を持った男は何度も頭に棒を振り下ろした。
 俺の体重を一人で支えることになった左側を抱える男はよろめいたが、すぐに体勢を立て直してまた進み始めた。
 少しずつ聴覚が戻ってきていたようだ。背後から聞こえる骨を打つ鈍い音は段々と湿った音に変わる。男の洗い息遣いが耳元で聞こえる。そこに恐怖が混じっているのがわかる。
 田中はいつもダッシュボードに特殊警棒を隠していた。握手のスイッチを押し込んで振ると金属音を響かせて伸びる棍棒だ。去年の夏に田中はそれでスイカを割っていた。そんなもので頭を連打されたら無事なわけがない。
 肩を抱える男の歩調が早まった。俺の手首を掴む左手に結婚指輪が見えた。
 右側からエンジン音が聞こえた。駐車場内は徐行というルールを無視しているのがわかるほどの激しい音だ。目の前でブレーキを鳴かせて止まる。その中に強引に押し込まれた。俺の鞄も一緒に投げ込まれる。担いできた男がわざわざ持ってきたのだろう。
 鈍い音が聞こえた。ほどく遠くから聞こえたが聞こえた。視界も少し回復していた。ほんのすぐ先で田中が足元を棒で打っていた。多分、俺をここまで抱えてきた男の頭を割っているのだろう。
 田中が警棒を振るたびに俺の顔に何かの液体が筋になってかかった。脳漿と血液だ。

 田中と目が合った。俺に向けてなにかを叫んだ。
 運転席の窓を叩き割ると右手に持っていた警棒を投げ捨てて運転手の襟首を掴んだ。運転手が短く悲鳴を上げた。女の声だった。
 車は急発進した。ドアがばたんと閉まった。女はハンドルを左に切った。田中は遠心力で吹き飛ばされながらも女の襟首を掴んでいた。
 車は止まっていた他の車にぶつかって止まった。その衝撃で田中も落ちる。
 女はバックギアに入れてアクセルを踏み込んだ。車はバックのまま駐車場を出た。田中が追ってくるのが見えた。
 本当にあいつは軍へ行くべきだったのだ。
 白飛びした視界の中で、田中の顔に散った生乾きの返り血はそこだけ真っ黒に見えた。
 
 

第十八回に続く
隔日更新予定
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