父が召されて1か月

2023年 6月10日、私の父が亡くなって1か月が過ぎ。
父、故 塚本 充 師 の為、心配し、とりなし祈って下さった方々、本当にありがとうございました。
生前はあらゆる方々にお世話になりました。
ありがとうございます。
私も癒されることを信じて祈っていたんですが、神様の時だったんですね。

色々あって、SNSでもお知らせがなかなかできないでいました。
伝えきれてなかった方々、申し訳ありません。

私自身発信がとにかく苦手。ものすごく億劫なんです。
ここにきてやっと心の整理がつき、うち明けてますが。

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大まかですが、私と父との最期の数日の事。

去年夏くらいからちょくちょく実家へ帰るようにはしてたんですが、
4月初頭に実家から埼玉へ帰った数日後、母から
「お父さん、膵臓がんになった」って電話で聞いて。

正直この時は突然すぎて実感が全くありませんでした。
「…え?病気知らずのお父さんが??…」

母に「Facebookとか、SNSでお知らせしてみんなに祈ってもらおうか?」
と聞いたら、「今でも連絡がひっきりなしに来るのにこれ以上はやめてほしいし、自宅療養になると介護しにくくなってしまうので」と。

父も自身や家族のことを公にするのは嫌うタイプだし、私も離れて住んでるのであまり答えられない。本当は神学校で大変お世話になった平塚の方々や群れの先生達、他にも父を知る多くの方に知って頂き、祈って頂きたいと思っていたのですが、本当に申し訳ない。
とにかく事情知ってくれている人たちだけでも一緒に祈っていこうということで、ずっと祈りつづけていました。

私たちに代わって、湯本先生より活水の群れの号外メールや、フェイスブックでもお知らせをしてくださったりで本当に助かりました。

いやでも、早すぎる。
あんなに元気だった父さんが。
今でもこの現実が夢の中にいるような感覚。

最初は「病院でお医者さんにお任せしていきたい」って言い張ってたんだけど、
実はお母さんに面倒見られるの遠慮していたらしい。

myu-(愛猫)もお父さんいなかった時めちゃめちゃ鳴いて心配してたし。
自宅療養に切り替えてくれて本当に良かったと思う。
結果的に寿命を縮めてしまったのかもしれない…と思うけれども。
近場の方々や教会の信者さん達など皆さん会いに来てくださいました。
病院のままだと面会謝絶で1日一人しか面会できなかったもんね。弟夫婦も仕事終わりに来れるし。

日に日に容体がどんどん悪化していくので、私も母を手伝う為、祈りつつ会社にも長期休暇を申し込もうとしたところ、社長に
「今お昼だから丁度良い時間だし、どんな手段でも良いから急いで今すぐ実家へ帰んなさい。向こうについてから帰る日を決めたら良いよ。」と言われて。
今すぐ帰るって…神様がもしかしたら社長の口を通して語られたのかしら?と、ぼんやり思いつつも、ネットでバスとかいろんな便を探して。
そしたら丁度飛行機のチケットが取れて。

この時台風が迫ってたんやね、羽田行ったらすでに全便10分遅れで。
尚且つ「悪天候の為到着できない場合は羽田へ引き返します」とのアナウンスが。それにも関わらず、揺れもそんなに感じなくて、10分遅れのままで無事着陸。

その日の6/8の夜に高松着いて。
母に迎えに来てもらわないと実家までのアシがない事に全く気づいてませんでしたけど。

「お父さん、ただいま!来たよ。」の声にはっきり頷いてくれました。
間に合って良かった。。。本当に。自分の思う次の週では一足遅かったんだと感じた。
私の行こうとするすべての道を主が導いて、開いて下さった事に感謝しました。
助言下さった社長にも感謝です。

以前来た時よりさらに痩せて。今迄の面影がない。声も出ない。うっすら目を開けて。
ご飯も喉を通らず、ずっと点滴で。
熱があり口腔内が渇いた時に、砕いた氷を口に含ませるだけなので随分痩せてしまって。
その時の顔がおじいちゃん(塚本一雄師)にそっくり。
私は介護はできなかったけど、ずっと微熱があり、痙攣としゃっくりを繰り返し起こしていたので、
おさまるまで手を握って。さすって。
湿らせたタオルで身体拭いて。
度々の痙攣でぎゅーっと握られる手を見ながら、小さい頃を思い出してた。

よくイタズラで力一杯私の小さい手をぎゅーっとされたんだよ。痛ぇわ。


10日の最期は昼間の3時過ぎに。
いつも通り教会の信者さんが入れ替わり見舞いに来てくれ、お茶入れ団欒の中で。

ふと、いつの間にか息をしていない事に気づいて。
「お父さん?!」何度も名前呼んだけど。お母さんに止められて。
本当に自然に。穏やかないつもの時の中。

平安のうちに召されていきました。

いつでも主にお会いできるよう準備していかないといけない。
自分もいつ召される時が来るかわからない。
おばあちゃんの時もそうだったけど
父を見て改めてそう思わされました。

与えられている「今」のうちに、なんでもやっていかなければ。
主から与えられている「時間や賜物」をどう用いていくか。
神様はその全てを見ていて下さっている。
主にますます喜ばれる者になっていきたい。
ますます主を愛する者に変えられていきたい。

前夜式は日曜礼拝後夕方に行われ、告別式は次の日に。
バタバタでしたが急なこととはいえ、参列して下さった方々が多くありました。本当に感謝です。
遠方からも来て下さった方々、群れの諸先生方、本当にありがとうございました。

教会や御言葉の伝道のためにイラストを用いていただければと良いなと思っています。Mutsumi T の今後の働きのため、応援・ご支援いただけると創作活動の非常に大きな励みになります。