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承認欲求と今後のこと。

「醜いな」とたまに思う。

自分自身のことがである。

誰かと飲んで充実した時間を過ごせたと感じた日でも、後から振り返ってみると自分語りばかりだったなとか。SNS投稿の裏に潜む、自分自身を優れた人間に見せようとする卑しさを見て見ぬふりをするとか。

とにかく積極的行動の動機が、ただの浅はかな承認欲求なのである。


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僕のInstagramのストーリーの8割は、面白かった本や映画と一人旅で行った場所で占められている。

投稿の瞬間には、自分の感情の高まりや感動を共有したいという動機でボタンを押す。

が、その直後に僕は猛烈な後悔や恥ずかしさに襲われている。

「こんなの誰も興味ないでしょ」「いや、そもそも俺の存在自体に興味ないよね」「一人であることを主張する虚しいカラ元気野郎じゃん」

それが承認欲求を満たしたいがための投稿であることに気づいて愕然とするのだ。

しかも、懲りもせずに何度も同じ過ちを繰り返してしまう。
全くもって愚かである。

挙句の果てには、自分が本や映画を楽しむのは、一人旅が好きなのは、承認欲求を満たす投稿をしたいがための浅はかな理由づけなのではないかとすら思えてくる。

流石にそこまではないが、ふとした時にそんな思いが頭をよぎってハッとする。


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僕が他人にさほど興味を持っていないように、他人も僕には全く興味がないことを忘れてはいけない。

純粋な興味関心による行動なのか、安易に承認欲求を満たしたいがための行動なのかを精確に見極めなければならないと痛感している。

承認欲求を上手に制御することができれば、余計な消費行動や付き合いから解放され、自身の感性を最大限まで拡張して世界を知覚できるようになるはずだ。

そんな人にこそ、抑制の効いた美しさが立ち現れてくるのだろう。


✳︎


noteについても、承認欲求を満たすためだけのツールにしてはいけない。

そんな気持ちが最近高まってきている。

だから、今は少し立ち止まって、これまでと違ったアプローチで記事を書けないものかと考える期間にしたい。

現時点でプランは全く無いけれど、もっと創造的で豊かな内容にしようと思う。

今後も優しく見守っていただけたら嬉しいです。

それでは、また。

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