『ギフテッド・チルドレン』
愛夢ラノベＰ

【本編】

第０部　プロローグ

　ふと疑ってしまうのさ――僕の他にも、前世を覚えている人がいるんじゃないかって。

　俗に、ギフテッドには色んな定義があるが、その中でも前世の記憶を持つ子供を《ギフテッド・チルドレン》なんて呼ぶらしい。
　その存在を信じない人もいるだろうが、それはイアン・スティーヴンソンの著書を知らないだけであり、二千件ほどの記録がある。
　だとすれば、僕だって該当するかも。
　だって、パンピーには理解を得られないだろうが、生まれた時から、僕の中には言葉で形容しがたい記憶がある。いつの日の出来事なのか、その場所すらも分からないが、苦虫を噛み潰したような辛い思い出が心の奥底に眠っているのだ。
　しかも、風呂場の黒カビみたいにさ、こびりついて頭から剥がせない。
　瞳を閉じて、頭の中の映写機にポジフィルムをセットすれば、あたかも映画館でポップコーンを食べながら映像を見るように、真っ暗な世界に過去の動画が流れる。
　嘘だと思うよね。
　でも、本当の話なんだ。
　あれは……たしか、僕が幼稚園児だった頃、しんしんと雪が降る街並みを眺めていると、自分の中に知らない過去がある事に気がついた。そう、持っていたのだ……いや、才能とか超能力とか、そんな陳腐な物ではなくて、前世の記憶を！
　ベビーベッドから見た天井や細長い産道、子宮の温もりよりも前の記憶が僕にはあった。その記憶が雪景色と重なった時、海馬の中に眠る過去が呼び覚まされたのだ。それと同時に、僕は彼の感情のみならず才能までも得たように思えた。
　あれは正夢などではなくて、きっと誰かの前世。
　そう、おそらく生まれ変わる前の僕の過去だろう。
　阿武丸之介、これが前世での名前だ。
　丸之介はダサい名前だが、その名の通り、彼は二重丸の人生を歩いた。そこそこの国立大学を卒業し、まぁまぁの成績で司法試験に合格し、弁護士事務所でイソ弁をしている時に同僚の事務員と結婚した。まぁ、好きだったからではなく、その事務員がボス弁の長女だった事もあり、典型的な政略結婚だった。
　僕は阿武丸之介の人生を覚えている、と言っても全てではない。ピースが足りないジグソーパズルみたいに、その記憶は断片的でしかない。それでも僕は覚えているのさ、丸之介の後悔を！
　まだ信じない人のために、実際に見てみようか。
　そうだな、特に鮮明に覚えている話にしよう。

　――たぶん元号が変わる前の冬、おそらく日本国内にあるマンション。そんな曖昧な記憶でも、３２歳の丸之介に子供ができた事だけは思い出せる。

「丸くん、実は、発表があります」と妻らしき女性が微笑む。

「なんだい、急に？」と丸之介は首を傾げる。

「パンパカパーン、なんと我が家は３人家族になります」

「えーと、結菜の母親と同居するって話かな？　以前も言ったけど、俺は嫌だぜ」

「違うわよ、妊娠したの」

　結菜と呼ばれた女性は、お腹を優しく擦る。エプロン姿の彼女は、花柄のパジャマを着て、黒色の長髪をポニテにしていた。
　三十路の結菜の中に、新たな生命が宿ったらしい。医者の診断では、男子のようだ。

「何だって、本当かよ！」と丸之介は焦った。

「やっぱり驚いたわね。生理が来ないから、検査キットで調べたら、陽性だったのよ」

「それは……めでたいな」と丸之介の顔が曇る。

「あら、嬉しくないの？　２人の愛の結晶なんでしょ」

「もっもちろん、喜ばしいさ。ただ、なんと言えば良いのかな、ほら、俺も父親になるんだって思うとさ、責任感が重くのしかかるんだ」

「仕方ないわよ、これからは３人分の生活が肩に乗っかているからね」と結菜は彼の左肩を叩いた。

「はははっ、なおさら仕事を頑張らなきゃな。おっと裁判の時間だ。行ってくる」

　丸之介は、まず黒髪を七三分けにした。次に、お揃いのパジャマを脱ぎ捨てると、オーダーメイドの茶色いスーツに着替えて、食パンを咥えながら玄関へと向かった。

「まだ７時よ。開廷は９時からでしょ」

「事務所に書類を取りに行かなきゃならないのさ」

「もう慌ただしいわね。せっかく妊娠の報告をしたのに」

　結菜は丸之介の背後から抱きついた。すると、彼はビクンと強張った。その反応は、あたかも隠し事をしている人間のソレである。

「コラコラ、急に抱きつくなよ」

「だって寂しいんだもん」

「いつも傍にいるだろ」

「でも、最近の丸くんは帰りが遅いし」と結菜は頬を膨らませた。

「仕事が忙しいんだ」

「あと、あれも心配なのよ」

「あれ？」と丸之介は目をパチクリさせた。

「ほら、２日くらい前に、郵便ポストに殺害予告が届いたでしょ。お前の夫を殺してやるって手紙よ」

「あんなの誰かの悪戯さ」

「でも、怖いじゃん。特に、弁護士って恨まれやすいし」

「仮に勝っても相手方から憎まれるし、裁判で負けたら依頼人に睨まれる。それが弁護士の仕事ってもんさ」

「だからこそ殺されるんじゃないかって不安なの。お腹の中の野丸もいるし」

「のまる？」と丸之介は聞き慣れない単語を発した。

「子供の名前よ。野原の野に、丸之介の丸。それで野丸。元気なら、特別な才能なんて必要ないから、ノーマルって意味もあるわ」

「いい名前じゃないか。それに安心しろ、野丸を育てる金もある」

「どれだけ貯金しても、老後は心配でしょ」

「だから、今日も働くんだ。行ってきます。あっ、今日の晩飯も要らないからな」

「また会食なの、いってらっしゃい」

　結菜は不満そうに丸之介を見送った。おそらく彼女は、今日も帰りは遅いのかと憤ったはずだ。それでも、結菜は彼を信じていた。これから子供と明るい家庭を作るのだと信じていたのだろう。
　しかし、丸之介には秘密があったのだ。
　丸之介は廊下に出るなり、１６階のエレベーターホールでスマホを操作した。最新のスマートフォン２２Ｓには、とある女性の通話画面が映る。

「あっ、神々廻（ししば）マイか。実は、話があってな」

『ちょうど良かったわ。私も丸と話したいの』とクリスタルボイスが漏れる。

「だったら、いつものラブホテルで正午に待ち合わせだ」

『その必要はないわ。すでに丸の後ろじゃん』

　マイが通話を切ると同時に、エレベーターの扉が開く。そこから１８歳くらいのＬＪＫが出てくる。その少女は金髪のポニテを靡かせ、緑褐色の制服姿を着ている。そんな少女を見て、丸之介は目も口も開く。

「なぜ俺のマンションに？」

「丸と話すためじゃん」

「どうやって電子扉を開けた」

「住人の後をつけただけ」

「それは刑法１３０条前段の建造物侵入罪に当たるぞ」

「どうだって良いのよ、人生に疲れたから」とマイは溜め息をつく。

「どういう意味だ？」と丸之介は戸惑う。

「こっちの話じゃん。それより丸の話って何？」

「そうだった、俺と別れてくれ」

「別れるも何も付き合ってないでしょ。私との関係は、単なるパパ活じゃん」

「たしかに、体の関係だけだが、少し厄介な事になった」

「どうしたの、そんなに焦って？」

「実は、妻に子供ができてしまった」

「おめでとう、私以外の女とも中に出したんだ」

「夫婦だから、当然の行為だろ」

「離婚しようと思ってたのに？」

「チッ、計画が狂っちまった。とにかく、俺と別れてくれ」

「嫌よ」とマイは首を横に振った。

「何でだ？」

「実は、丸との子供が生まれたの。だから、今日は養育費を貰いに来たの」

「中絶しろって命じただろ」

「お金をくれなかったでしょ」

「親に言えよ」

「言えないわよ。だから、駅のトイレで生んじゃった」

「まさか本当に俺の子供が生まれたのか？」

「ガチじゃん、ほら」とマイはスマホを見せた。

　ひび割れた液晶画面には、生後まもない幼児が映る。シワシワのチンパンジーみたいな赤子は、新橋色の髪とオブシディアンみたいな黒い瞳を持つ。
　髪色は違えど、どことなく神々廻マイに似た赤ちゃんだ。

「本当に俺の子か？　瞳の色が違うぞ。そもそも、お前はパパ活をしていただろ。他にも男がいたはずだ」

「そりゃ、実業家とか医者とか大学教師とか、太客は多いよ」

「だったら、その３人の誰かが父親じゃないのか？」

「でも、出産の日から遡ったら、丸としか中出ししてないもん」

「うるさい！　とっとと帰れ。妻にバレたら、どうするつもりだ」

「なんて酷い事を言うの。ベッドの上では、私を愛してるって言ったじゃない！」とマイは叫んだ。

「あれはリップサービスだ。大人の社交辞令を理解しろ。じゃあな」

「ちょっと待って！　マイリスは、どうなるの？」

「マイリス？」と丸之介は眉をひそめた。

「子供の名前じゃん。愛の結晶って言ったよね」

「今、どこにいる？」

「とりあえず、コウノトリ・ボックスに入れたわ」

「何だ、その箱は？」

「赤ちゃんを預ける場所じゃん」

「だったら、心配ないだろ」

「ダメよ、親が来ないと孤児院で育てられちゃう」

「それで良いだろ。どうせ俺も世話はできないし」

「マジでマイリスを見捨てるの？」とマイは両目に涙を溜める。

「俺が望んだ子供じゃない。生んだのは、マイだろ」

「男ってマジで最低！　そんな言い訳は聞き飽きたわ。本当に育てないなら、殺してやる」

　神々廻マイは、刃渡り９センチの果物ナイフを取り出すと、ミサイルのように丸之介に襲いかかる。もちろん、彼は抵抗したが、若い上に覚悟を決めた少女には勝てない。
　その刃は、見事に丸之介の左胸を貫く。
　勢いそのままに、マイがナイフを抜くと、じんわりと丸之介の白いシャツに血が滲む。彼の服が日本国旗のようになる間に、ドバドバと鮮血が流れ、廊下にはボリビアのラグナ・コロラダみたいな血溜まりができた。

「グギャーー！　血が止まらん。死ぬっ、死ぬぅぅぅぅう！」

「それはマイリスの痛みよ。いえ、それより心は傷んだはずね」

「俺は……グハッ、死ぬのか？」と丸之介は卒倒した。

「運が良ければ、奥さんが助けるんじゃない。その時は、マイリスを育ててね」

　と言葉を残すと、マイはマンションの１６階から飛び降りた。数秒後に、パンと乾いた音だけが閑静な住宅街に響き、キャーーという通行人の悲鳴が静寂を破った。
　それと同じくして、枝が刺さったイモ虫のように、丸之介も息を引き取った。
　ただ、神々廻マイの言葉が心残りだったからだろうか、丸之介は死んだが、彼の意識だけは、その後悔だけは身近な存在に託されたのかもしれない。
　もう神々廻マイは、この世にいない。
　もう阿武丸之介も、この世にいない。
　そんな彼の正体を知ったのは、僕が高校生になった時だった。ふと家にあったアルバムをめくると、そこに丸之介の顔があった。何度も何度も繰り返し見たから、その顔を見間違える事はない。
　その男について母親に尋ねると、僕の父親だと言うのである。
　そう、僕は父さんの記憶を覚えていたのだ。
　いや、記憶だけではない。丸之介が持っていた瞬間記憶能力や論理的思考法、また法的な知識も生まれながらにして体得していた――それは父親の脳を移植されたみたいに。
　ただ、知識や記憶のみならず、僕は神々廻マイリスへの未練も抱いた。海馬に父の感情すらも刻み込まれていた。だから、もし神々廻マイリスと会うことがあるのならば、僕の人生をもって彼女を幸せにしなければならない。
　神々廻マイリスを笑顔にする、これだけは前世から引き継がれた責務なのである。
　神々廻マイが僕に託した唯一の願いなのさ。
　ただ、どれだけ調べても、コウノトリ・ボックスや孤児院の情報は保護されており、マイリスの足取りすら掴めなかった。
　今もマイリスは生きているのか？
　どんな顔や容姿をしているのか？
　そんな素性すら知らないマイリスと、高校の入学式で、僕が出逢うなんて思いもしなかった。だが、知らず知らずの間に、僕とマイリスは運命の赤い糸を手繰り寄せていたのだ――あたかも宇宙を漂う２つの彗星が奇跡的にスレ違うように。
　いや、ここは衝突したと言うべきか？
　もしくは、尻に敷かれたとも言えるだろうか。
　だって、僕とマイリスの出会いは、ジャイアント・インパクトすら凌ぐ衝撃があるのだから。

第１部　ギフテッド・チルドレン
第１章　サクラと行動の麒麟児

　僕の記憶の中には、常にマイリスという名前があった。そんな彼女と出逢ったのは、たしか高１の春だった。

　今、東京は咲き乱れる桜が色濃く、そのピンクが、春一番が、商店街に置かれた桜餅が、４月の到来を告げる。
　そんな街に、春の陽光が地面に射す。でも、春にしては肌寒く、カッターのように鋭い冷気がツンツンと肌を刺す。
　まだ春寒の残っている冷たい空気の中に、土やら花やらの匂いが交じっている。その香りを嗅ぎ分けたのか、１匹のミツバチが大空を飛んでいく。
　――令和１５年４月８日の午前８時３０分。
　――都内某所の聖クロノス学園の校門前。
　昼下がり、雨上がりの道路には水溜り。水面が日光を反射すれば写し鏡。思春期の僕は髪型が気になり、映りたがり。自分探しの途中のため、寝癖には気づかない。

　阿武野丸（あぶのまる）――１７６センチ、６２キロ、高校１年生、右利きのチェストボイス。
　記憶の麒麟児。
　陽光を反射した両目は、白色が層状に重なっており、レースアゲートのように輝いた。
　レタスグリーン色の短髪をマッシュにして、ツイストスパイラルパーマを当てて、センター分けにセットした。よく見かける広告のイケメン俳優と同じだ。
　緑がかった黒い制服に、白いシャツと黒いズボンを身につける。
　水面に写るイケメン（自称）を見ていると、空から少女が語りかけた。いや、厳密に言えば、少女は桜の枝の上から話しかけた。クリスタルボイスで騒ぎ立てた。
　少し不思議だったのは、少女が頭上にいた事のみならず、その声に聞き覚えがあったからだ。

「ちょっとパンツを見ないで！」と少女はスカートを押さえる。

「別に、白いパンツは見て……あっ！」

「やっぱり見ているじゃない」と少女は赤面した。

「僕のせいじゃない。お前が木登りをしているからだろ」

「女の子を、お前って呼ばないで」

「だったら、名前を教えろ」

「覚えておきなさい、問題児Ｘよ」

「さすがに本名じゃないよな？」

　僕は思わず、頭上の問題児Ｘを二度見した。別に、パンツを見たわけじゃないさ。彼女の容姿は、髪の色が違えども神々廻マイだ。
　その女子は、記憶で見たＬＪＫとソックリだ。

（最後まで読んでいただき、ありがとうございます。すでに本作は第一部まで書き上がっておりますが、新人賞に応募中のため、冒頭部分の公開となっております。本作が読者の手に届く日を心待ちにしながら、結果を待っております）

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