それが望ましい「視線」であろうとなかろうとなかろうと

1度MVを見てからというもの心臓を掴まれたように、ほぼ毎日聴き続けているIVEの「Either way

楽曲としての良さだけでなく頭を離れないのはこの曲が歌うテーマも大きいと思う。

端的に説明すると「他人から見るわたし」を通して「私とは何か」を鮮やかに描き出した作品である。

つまり、生きている限り人間が絶対にぶち当たるであろう普遍的なテーマ、自分とはなんぞや」についての歌なのである。

そんなことを歌われたら、永遠にこの曲について思考し続けてしまうのがオタクの性分であり、1度自分の頭に浮かんでいることを整理したいとnoteを書くに至った次第だ。
(このため韓国語、英語どちらにも明るくないただオタクが自分なりの解釈を整理した日記であり、読み辛い点が多々あることご容赦願いたい)

「他人から見るわたし」を通して「私とは何か」を表現した作品と前述した。

そう、またしても「視線の話」だ。

SNSが発達して他人の勝手なジャッジや評価といった「視線」から逃げることができない時代。
そんな風に表されるが、SNSが発達する前から人間は勝手に人を自分の物差しでジャッジして、その命を奪ってきた歴史があることも覚えておきたい。

よく人は「本当の自分が分からない」と言う。
家族といる自分、友達といる自分、恋人といる自分、職場にいる自分。
どの場面、どの人に見せている自分が一体「本当の自分」なのだろうか?

考え出すとキリがなくなり、自分という存在そのものの輪郭がぼやけてくる、足元がグラついて、目眩がする。

同じ絵画でも引きで見る壮大さと、近くで見る緻密さで異なる印象を持つように、人間だって親しい人と親しくない人では見え方が違う。
もっと言えば親しい人の中でも、その人に対する見方や評価は様々だ。

「Either way」では「誤解が生んだ沢山のわたしと話してみて、その全部がわたしだったんだ」と歌っている。

凄い歌詞だ、ほんとうに。

そもそも「誤解が生んでいるわたし」なのだから、「わたし」当人からしたら、「自分が描く自分像とは異なっているわたし」であるはずだ。
自分自身に置き換えて考えたらどうだろう、受け入れ難く否定したくなる気持ちが湧いてしまう気がする。
でもこの曲はそんなことを歌っているのではない。

「自分」と「自分」の対話で確立された「私」だけではなく、「自分」と「他者」、引いては「自分」と「世界」が作った「私」も「私の姿」であり、「私の一部」なのだと受け入れたのである。
それが「正しい私の姿」、「間違っている私の姿」なのかどうかは関係がない。

自分にとって望ましい視線であろうとなかろうと、全てを受け入れることを選んだ。
愛だけでなく憎しみさえも。

この考え方や精神状態に行き着くって生きているうちに可能なのだろうか?
頑固で自我の確立や自分と他者にある溝に苦悩しながら生きている発展途上の身としては、まだまだ道のりは遠いなと感じるばかりだ。

実を言うとこの曲、最初聴いた時のイメージと聴き込んだ今では印象が結構異なっている。

最初聴いた時の印象は、
「他者が勝手な視線によって作られた「わたし」と自分自身の考える「わたし」との間で苦しみ抜いた結果の諦め、やるせなさ」
「批判されても私は大丈夫、大丈夫なんだと繰り返し自分に言い聞かせる切なさ」
「心で泣いて、笑っていよう」
といった、映画「ジョーカー」的な人生の悲哀に満ちた曲だと思っていた。

でも聴いていくうちに
「あれ?これってそんなに暗い曲ではないかもしれない。むしろ人生の絶望に対して希望を提示してくれるような強さを持った曲なのでは?」
と気づいてからだいぶイメージが変わった。

前者か後者、どっちの解釈をするかで「Either way」と言う言葉の訳しかたも随分変わりそうだ。
ただしこの曲のテーマ通りどっちの解釈も、またこれ以外の解釈も含め「すべての解釈」こそがこの曲の持つ意味となるのだろう。

ここで「Either way」の意味を改めて確認しておこう。

(二通りの)どちらでも、どちらにしても、どのみち、どちら側にも」

Weblio 辞書より引用(URL:https://ejje.weblio.jp/content/either+way

そう、どちらにせよ自分は自分なのだ。

「誰が合っているとか間違っているとかではないんだよ、みんな違う愛し方を持っているのだから」

「誰が合っているとか間違っているとかではないんだよ、みんな違う生き方を持っているのだから」

こんな風に歌ってくれる曲こそ、今の時代に1番必要な愛の歌なんじゃないだろうか。

押し付けがましい「セルフラブ」「自己肯定感」といった言葉に首を絞められ、自己肯定感が低いことがまるで何か罪を犯しているかのように感じる身としては、本気でそう思う。

もう1つ大好きな歌詞がある。

「あの子はEだからああなんだ」
「君はIだからそうなんだ」
もういいよ、みんなで「V(ピースサイン)」しよう

IVEの「Either way

人をカテゴライズし簡単にジャッジできてしまう「MBTI診断」。
韓国では付き合う前にお互いのMBTIを確認するという人もいるほど定番化している性格診断だ。
(E=外交型の性格、I=内向型の性格)

時代感をグッと掴むこの感じ。
さらに、アイデンティティをテーマにした楽曲で自分達のグループ名を歌詞に散りばめるという巧みさ。秀逸な歌詞すぎる。

EとかIとかもうそんなのいいよ、とにかくみんなでピースしよう

良い意味での全肯定感というか、あらゆるものを超越した悟りの境地に達した「トリップ感」この曲にはある気がする。
オタク的に分かり易い表現を使うと、エヴァンゲリオンにおけるATフィールドがなくなり全人類がLCCに溶けて1つになったように。
だが完璧に「自己」を持たず「他者」と1つになる「人類補完計画」的な話でもない。

この歌の主人公は確固たる自我を確立している。
だからこそ他人のジャッジも、自分自身のジャッジにさえも揺るがされない。
「そうね、それもわたしだよね」って返せてしまう柔軟性が、実は揺るぎない「自分という信念」を元に確立されているように。

最近読んだ本でとても印象に残った一冊がある。
精神科医の宮地尚子さんの「傷を愛せるか」という作品だ。

この本では、心に傷を負った人たちがどのようにしてその傷と向き合ってその傷を受け入れ、生きているのか?ということについて自身の精神科医としての経験を通して描いている。

傷を負った事実や過去は変えられない
何もなかったような私には戻れない
それでいい、ぼろぼろに傷ついた心ごと自分だ

Either wayという曲のテーマの本質はこうした意味での自己受容であると思う。

「私たち、傷を抱えたまま生きていこうよ」

そんな風に心に寄り添い、共に人生を歩んでくれる美しい曲だと強く思う。

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