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いくつかの大切なものだけ抱えて、旅するように生きていきたい。

昔から、何にも捉われない自由さを感じさせるものが好きだった。

蝶のように、ひらひらと飛んでつかみどころのないもの。
クジラのように大海原を悠々と泳ぐもの。
そういうものに憧れた。

旅をする時もパックツアーより個人のバックパッカーを選んだ。
行き先や交通手段、時間を自由に決められるから。
「自分でやってるんだ。」という達成感や自信につながった。

逆に、何かに縛られたり固定されたりするようなものは苦手だった。
添乗員さんつきの旅行は、何もかも準備されてて楽だけど、ドキドキわくわくの発見や達成感は少なかった。

高校生の時には、薬剤師だった親から「薬剤師になりなさい。」と言われたけど、人に決められたレールの上を歩くのはまっぴらごめんだった。
自分で考えて自分で決めたかった。

でも昔は自分軸というか、自分だけの心のコンパスがハッキリしていなかったから、「自由に生きたいけど、具体的に何がしたい?何を選ぶ?」という部分があやふやだった。
嫌なものはあったけど、コレだ!と心から思えるものが分からなくて、すごくしんどかった。

自分だけの軸をもって、周りになんと言われようと力強く自分の人生を歩みたいのに、その力が湧いてこない焦り。
本を読んでも良いことや感動することはたくさん書いてあるけど、その言葉が自分のものになりきらない居心地の悪さ。

若いうちから人生を決めて、自分の信じた道をひたすら歩んでいたり、自分の好きなことを大切にしながらブレずに行動する人が輝いて見えて、羨ましかった。

そうやってモヤモヤし続けて、何年も考え続けてやっと「コレだ!」と思えるものがハッキリと分かった。
それは、「自分の感性を信じる。」ということ。

私は、子供という存在が好き。
そして夕日や大空、新鮮な空気や青々とした緑など、自然が好き。
著者と心が繋がれたり、新たな気付きや勇気を与えてくれたりする読書が好き。
移動時間も含めて、色んな所へ行ける旅が好き。

好きなものに触れた時は、明らかに心が喜ぶのが自分でもよく分かる。
つまりそれは、私にとって生きる上でとても大切なものなんだ。
誰が何と言おうと。

そういう感性を信じて、自分にとって大切なものをちゃんと大切にすること。
自分だけの心のコンパスをしっかり握って、それに従って生きること。
そうやって生きていきたい。

やっと分かった。腑に落ちた。

逆に言えば、自分にとって大切でないものは選ばないということでもある。
何かを選ぶということは、何かを捨てるということだから。

私は、やっと見つけた少しの大切なものだけを持って、何にも縛られずにふわふわと旅するように生きていきたい。
色んな所に住んでみたいし、行ってみたい。
慣れ親しんだものだけじゃなく、見たことのないものも見てみたい。

欲張りだとか、わがままだとか、そんなの無理だとか言われようと、自分の生きたい生き方を貪欲に追求していこう。
自分で感じて考えて、自分で決めて行動しよう。

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