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「怪物」感想 ~全員加害者~

上映後、とにかく思ったのは「凄い…」。"面白い"というワードはチープな感じがして何か違う。

登場人物たちの心情表現、幾度もブレる正義と悪の視点、絵画のように見つめてしまう映像美、そして人物の心に寄り添いながらも神秘性を帯びて奏でられる坂本龍一さんの音楽。それらが管匹な配合で溶け合って、「怪物」が出来上がっていた。凄かった…

物語が開始されてまず思ったのは、"この映画に出てくるのは全員加害者だ"ということだ。

冒頭は、安藤さくらさん演じる母親が息子の通う小学校へ行くところからはじまる。

息子が担任教師から暴力や罵倒を受けていると聞き、その実態を伺いに行ったという次第だ。

一見、学校側の対応や態度があまりに酷く、母親側の言葉や気持ちに一本の筋が通ってる。ほんと、学校側(特に校長と担任)は嫌がらせをしているとしか思えなかった。こんな態度と言葉じゃ納得してもらうことは愚か、怒りを増大させるに決まっているだろと思った。

母親の怒りが閾値を超える。すると、母親の言動が感情的に荒々しくなる。仕舞いには、「あの放火事件もあなたは犯人じゃないんですか!?」と全く別件のことを証拠もなく、憎悪を曝け出した。

息子想いのひたむきな母親がその時、"怪物(モンスター)"に見えた。

その後の展開を見て、幕が降りたあと、改めて思った。

校長も担任教師も母親もその息子とその友達も全員が、互いに悪意を向け合い、心を食い合う、"怪物"という名の加害者だったのだと。

加害者たちは明確に誰かを苦しめてやろうという意思を持って害を加えるわけではない。そういうわかりやすい構図は例外なことで、大抵は、無意識的あるいは結果的に人は人に攻撃する。そういう攻撃と攻撃を日常で起こり得るレベルで最も苛烈な形で描いたのが、この映画なのではないかと思う。

教師と母親は少年たちに"男らしく"あれと優しく言葉をかける。たくましく、立派な人間に成長してほしいと願っての気持ちからの言葉だ。だが、そうはなれない、男らしくない部分を自身に見出すその少年たちにとっては、言葉は呪いになってしまう。

クラスで起こっているいじめも、この呪いが原因と言える。ガキ大将のような少年は、いじめる対象を"女々しい"、"男らしくない"ということを大義名分に相手を攻撃していた。(ほんとクソガキそのものだった)

いじめられっ子を庇う少年に対しては、「お前あいつが好きなのか!」と言って揶揄う。ガキ大将たちは、男子が男子らしくないことがおかしいと無意識底に思っている。それは、周りの大人たち(教師、親)が"男子は男子らしく"、"女の子は女の子らしく"という呪いを刷り込んできたからに他ならない。

ガキ大将たちは大人の言った"〜らしく"から外れる者たちに正義を執行するつもりで攻撃しているに過ぎない。つまり、"〜らしく"の呪いがウイルスのように広がって、その結果、ひどいいじめが起こったという構図だ。

子供同士のいじめも、大人たちが起こした加害の結果だ。

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