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同盟か統一か ~『マギ』と『キングダム』から見る平和の手に入れ方

序文 平和を目指すありかたとは

 子どもの頃、だれしも一度はテレビで戦争の映像なんかを目にしたとき、漠然とこんなことを思ってはいませんでしたか。


「世界がひとつの国になったら戦争なんてしなくなるのに」と。

 身体が大きくなって世界の歴史やこの世の仕組みを知るほどに、子供の絵空事だったなと、微笑ましくも純真だった自分がもういない気持ちにさらされます。世界がひとつになんてなれない。そんな事実を認めまいとはげしく心を奮い起きることはまるでなくて、いまのぼくは大手を振って世界に国境があることに賛同します。世界の国々が同盟を結びあって国交を開き合い、平和が築かれるいまの世界が好きです。

同盟による平和。

 それがぼくを含めて世界中のほとんどの人たちが共通して意識している平和のあり方だと思います。

 しかし、時代を遡ればそれは絶対的なあり方ではありませんでした。戦国と称される時代には、武力で他国を攻め滅ぼして一つの国家として統一することが平和にたどりつくやり方と考える人たちが多くいました。もちろん、帝国主義時代の大英帝国などのように自国の国益のためだけに他国を植民地化して、平和から逆行したことを犯した例も数多くありましたけども。

 その時代にはその時代の考え方があって、地政学的な状況・当時の技術水準や思想なども現在とは大きくかけ離れています。だから統一によって平和を目指した昔の考え方を現代の形にそのまま移してその善悪を論じることは難しいのかもしれません。

 だけど、フィクションや物語といった空想の世界の出来事を借りて、平和を目指すあり方に分析の刃を入れてみることはできるかもしれないとビビッと思い立ちました。実際の歴史や事例だけを論じればなに小難しいこといっているんだよって頭を抱えられたりされそうですが、二次元世界を織り交ぜればたとえ分析がバカバカしくなっても、紙の上だけのほら話として笑ってもらえることが期待できます。

 ぼくに「同盟」と「統一」について考えるきっかけをくれたのはこの二つの漫画です。

大高忍『マギ』(少年サンデーコミックス、2009年- 2017年)
原泰久『キングダム』(ヤングジャンプ・コミックス、2006年-連載中)

 偶然なのかそうでないのか両作品ともに、同盟か統一かで意見を分かち、この世から戦争を失くすやり方をめぐっての大議論と武力衝突が描かれています。

※作品のネタバレが含まれてますので、これから原作を楽しみたい方はここまでにすることをおすすめします。

「マギ」 ~ シンドバッド 対 練紅炎 ~

 「マギ」ではシンドバッド(シンドリア王国初代国王、七海連合盟主)と練紅炎(煌帝国第一皇子)、この二人が世界のあり方をめぐって対立しました。
シンドバッドは自身が創設した七海連合という国家間同盟通じて自由貿易を軸にした平和をつくろうと奔走しました。対して練紅炎は侵略戦争を繰り返し、全世界を煌帝国一国に統一して、国境を失くすことで今後永久に戦争が起こらない世界をつくろうとしました。
その考え方と同じように二人の生い立ちは対称的です。

 シンドバッドはパルテビア帝国の田舎の漁師の子として生まれます。彼が子供の時のパルテビア帝国は国家総動員で隣国のレーム帝国と長年戦争をしていました。太平洋戦争中の日本のように、国の男子は全て徴兵されてしまい、家の鍋や漁船など、個人が所有しているものはすべて戦争のために国に差し出される状況でした。

 シンドバッドの父、バドルは漁船を渡さず国に対して非協力的な態度でした。そのため一家は村中から「非国民」と差別されていました。バドルはかつて戦争に行った兵士で、片足を失った傷だらけの身体で帰ってきました。
非国民と罵られようが家族を戦争から守る。
 そんな思いからバドルは戦争と距離を取る態度を取ったのでした。しかし敵国のスパイを匿った罪でバドルは軍に捕まり、戦争へ強制的に行かされることになり、その地で命を落としました。戦争から家族を守る父の背中を目に焼き付けて育ったシンドバッドは自分の力を、戦争を失くすために投じるようになっていきます。

 成長したシンドバッドは世界初の「迷宮(ダンジョン)」攻略者となり、アラジンよろしくダンジョンの魔人(ジン)の力を手にします。それから彼は国を出て、シンドリア商会を創業。その目的は自分の国をつくる資金と基盤を作るためでした。戦争と貧困だらけの理不尽な世界を変えることがシンドバッドの悲願で、そのために自分自身の国を作ることを決意したのでした。

 紆余曲折の末、シンドリア商会は世界随一の大商会になり、その資本をもとに国づくりに成功。シンドリア王国を建国しました。そして商会時代に取引を行っていた国々と共に「七海連合」を設立するに至りました。
「七海連合」はまずはじめに通商条約という性質で生まれて、次第に安全保障的な性質も帯びるようになっていきました。七海連合の形がそうだったように、シンドバッドの目指した平和は商売を行う相手先の存在を前提としたものでありました。

 練紅炎は煌帝国の王弟の長男として生まれます。当時の煌帝国は中原(地理的に中国にあたる地域)を支配する三か国のうちの一国に過ぎませんでした。中原ではその三か国がその地域の統一をめぐって血で血を洗う戦争を長年続けていました。紅炎の少年時代はその激戦に明け暮れて終わります。ときに戦う意味を見失いながらも、彼は叔父にあたる当時の皇帝の強い信念に導かれ、武器を手に戦いました。

 すべては戦争を失くすため。恨みが恨みを呼ぶ戦争がもたらす負の連鎖を、三国を統一することで断ち切る。そしていずれは世界中から戦争を失くしたい。それが彼や当時の皇帝をはじめとした煌帝国の悲願でした。
その強い思いは成就し、煌帝国は中原の統一を果たします。帝国の進撃はそこで止まらず、世界から国の垣根を失くすことに目を向けるようになっていきました。

 煌帝国は「迷宮(ダンジョン)」攻略に力を向けるようになります。シンドバッドが世界で最初にダンジョンを攻略して以降、世界中にダンジョンがいくつも現れ始めました。ダンジョンを攻略し、魔人(ジン)の力を手に入れることが各国の軍事的な課題となりました。
 そのために煌帝国は「アルサーメン」という魔術師組織を国の中枢に抱え込みました。彼らにダンジョンの斡旋を優先的にしてもらい、次々と攻略。煌帝国の軍事力は各国の脅威となっていきます。そして、大陸の東から西に侵略を進めるなかで、紅炎とシンドバッドは対立的な関係になっていきます。

 紅炎が統一による平和へ突き進んだ前提には、中原統一という成功体験がありました。隣国との戦争のなかで育った紅炎にはそもそも他国と同盟を組んで平和をつくるという発想を持てなかったのかもしれません。
 シンドバッドが手にしたのが国と国をつなぐ商売の力だとしたら、紅炎が信じていたのは他国との国境を壊す武力でした。平和を思う心は一緒でも、彼らが通った境遇、信じた力と考えはそれぞれ全く違ったもので、それが大きな対立を生みました。

 最終的に紅炎はシンドバッドに敗れ、世界はシンドバッドの舵が示す方向へと進むことになりました。

「キングダム」 ~ 秦王嬴政 対 李牧・呂不韋 ~

 キングダムでは、中華統一を目指す後の始皇帝、秦王嬴政が趙国宰相の李牧とぶつかります。李牧は秦の都、咸陽へ訪朝の折、嬴政に中華統一の夢を諦めて「七国同盟」(戦国七雄の七国すべてとの同盟)を目指すことでともに平和な世をつくろう、つくるべきだと進言します。

 嬴政は李牧の進言を聞き入れませんでした。同盟は確かに一時の平和を築けるが脆く、同盟を成立させた自分たちがいなくなれば容易に砕ける。後の時代に悪い考えを持った国が再び戦争を引き起こす。そんな失敗をこの中華は何度もしてきた。だから中華に血の雨を降らし人々から暗君と罵られようが、武力で他国を滅ぼして中華を統一する。それが嬴政の思いでした。

 この李牧との応酬から約一年前、嬴政は当時の秦国の相国(政治職のトップ)、呂不韋とも議論の応酬をしています。呂不韋も嬴政の中華統一の悲願に反対を述べた一人でした。
 呂不韋はもともと中華で一番の大商人。自分ならば武力ではなく、金(経済)の力で中華を平和に治めてみせると豪語しました。秦を中華で最も経済的に豊かな国にして、秦なしでは中華全土の経済が回らなくさせる。人は金がある場所に引き寄せられるもの。優秀な人材が秦に流れれば、他国は危機に陥る。そうなったところで経済協力をちらつかせて他国と同盟を結ぶ。それが彼の主張した政策でした。

 つまり呂不韋の統治論はシンドバッドと同じように商売による他国との結びつきを前提としたものでした。しかし、嬴政はそのやり方では戦争は無くならないと一蹴します。シンドバッドと違い、呂不韋はその点には同意でした。あくまでも自分の統治論は人々の幸福度をあげることが目的だと言います。対して嬴政が一番に目指したのは戦争を完全になくすことによる世の安寧でした。呂不韋のやり方は結局、戦争があたりまえにある今の世の延長で、本当に中華から戦争を失くすにはこの世の根本を変えるしかない、その唯一の答えが中華統一だと嬴政は強く語りました。

 嬴政はその後、中華統一の夢を果たします。

 少し長々と作品のエピソードを紹介いたしましたが、読んでわかるように、二つの作品ではほんとうに似たような議論と戦いが描かれています。
しかし、「マギ」では同盟を唱えるシンドバッドが勝ち、「キングダム」では中華統一が嬴政によって為されます。
 次に、「同盟」と「統一」の性質をより立体的にみるために、彼らの勝因と敗因を考えていきます。

七海連合が平和をつくれた理由

 「マギ」の世界において、シンドバッドが国同士を同盟で結び、平和の礎をつくれたのは彼が次の3つの力を持ち合わせていたからだと思います。

①カリスマ性
②武力・軍事力
③商売力

 ひとつめに、カリスマ性をあげました。リーダーシップ、人を惹きつける魅力と言い換えてもいいでしょう。若いときのシンドバッドはいかにも少年漫画の主人公的なキャラクターをしています。ものすごい存在感を持つ万能な人物にも映れば、酒に酔って身ぐるみはがされるなど、隙もあって誰とでもゆかいに接します。シンドバッドが後に同盟を組む王たちと親睦を結ぶのは十代から二十代前半のときです。初対面のときに衝突を持った王もいましたが、最終的に彼らは若いシンドバッドの力を認めて、彼と握手します。

 この物語の主人公,アラジンはシンドバッドのことを「(みんなから)尊敬され、引き連れて進む王」と評しています。そんな人物だからこそあらゆる考えを持つ国々の王たちに認められて進むことができたのだと思います。

 ふたつめは武力・軍事力です。他の王たちも一国の主ですからシンドバッドの人間性だけで重大な決定は下しません。シンドバッドと手を組むことが国にとって有利に運ぶと考えたから同盟がなったのです。

 シンドバッドは世界初の攻略者となって以降、合計七つのダンジョンを攻略し、ひとりで七つの魔人(ジン)の力を保有しました。魔人(ジン)の力が宿る「金属器」は軍隊をも一撃で葬れるほどの強大な威力をもち、国の軍事の象徴となるほどです。シンドバッドが最初にダンジョンを攻略して以降、世界中でダンジョンが乱立して各国の攻略競争が激化のはそのためで、ジンの金属器を持つ国や個人と手を結ぶことも国の存亡にとって欠かせないことになりました。

 七海連合に所属する国は力を持ちながらも領土が小さな国々でした。魔人(ジン)の力を手にして強大な軍事力を持った煌帝国やレーム帝国などの大国から身を守るために、まとまる必要がありました。だから各国の君主は一介の商人でありながら魔人(ジン)の力を持つシンドバッドの提案を飲み、友好関係を交しあいました。

 しかし、カリスマ性と武力だけでは七海連合は十分におおきくならなかったでしょう。七海連合の結束と発展をもっとも後押ししたのは、商人シンドバッドの商売力です。

 シンドバッドはただ平和のためといって同盟を結びに回ったのではありません。平和をつくるという理念よりも、交易という実際的な目的を前面にして同盟をつくりました。
 交易、すなわちビジネスが核になければ七海連合はただの国同士の互助協定で終わっていたでしょう。シンドリア商会が同盟各国間に貿易網をつくり、発展させたからこそ同盟の結びつきが強くなったのだと思います。武力や軍事力は戦争がある一時にしか力が振るわれませんが、交易は違います。常に商品を介してつながれるという強みがあるのです。シンドバッドがつくった貿易網のおかげで自国経済は潤います。

 それに、これはただの通商同盟ではありません。強力な魔人(ジン)の力を持ち、人を引っ張る才能に満ち溢れたシンドバッドの同盟です。経済にとっても、安全保障にとってもプラスであり、煌やレームと同等かそれ以上の勢力を形づくる同盟はあらゆる点で加盟国の利害と一致していたのです。

薩長同盟と七海連合

①カリスマ性
②武力・軍事力
③商売力

 七海連合が成功した要因としてこの3つをあげましたが、これは坂本龍馬の薩長同盟と似ているのではないかと思いました。

 薩長同盟もまず龍馬のカリスマ性ありきでなされたといって過言ではありません。薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(木戸孝允)。幕府と対抗できる力を持ちながらも、当時敵対していた両藩のリーダー双方と懇意な関係を持てたのは人の心にスッと入っていく彼の才能なしではありえませんでした。

 また龍馬には武力と商売力もありました。それが薩長の利害と一致する形となったことで、両者は同盟を組めました。
 龍馬がつくった海援隊(亀有社中)は薩摩藩がグラバー商会などから購入した武器を外に卸す事業を展開しました。龍馬はこのビジネスで一般的な大名よりも稼ぎまくります。龍馬といえば討幕派の藩の重鎮や名のある志士たちとの付き合いが熱いというイメージがあるかと思いますが、一介の浪人でそんな人脈を築くことは不可能で、優秀なビジネスマンだったから彼は色んな場所に足を運べたのです。

 本来犬猿の仲だった薩摩と長州でしたが、龍馬は海援隊(亀有社中)のビジネスで薩摩と長州の両方が利益を得る仕組みをつくります。
 薩摩はグラバーから手に入れた武器を売って儲けたい。長州は幕府の政策で孤立して武器が買えない。
 海援隊(亀有社中)はその両者の利害を調節する役割を担いました。薩摩から長州に武器の斡旋して両者の利害を満たす。そうやって龍馬がまんなかに立ったことで薩摩と長州の間にあったわだかまりはなくなり、利害で結びついた薩長同盟が成立します。
 この同盟は討幕運動の要となり、明治新政府をつくりあげました。

 重大な同盟には国や人をむすびつけるカリスマ性を備えた偉人の力が欠かせないのだと、七海連合と薩長同盟の例から見て取れます。
 また「平和」というテーマは崇高で何よりも大切な理念ですが、理念は理念にすぎなくて、それだけでは足りないのです。世の中を変える同盟には理念とは別に、形の見える利害(安全保障的メリット、商業的利益etc)が必要だと二つの例は教えてくれます。利害が満たされてようやく理念に向かえるということです。

侵略だけで終わらない他国の統一

 次に、他の国をうち滅ぼしてその後統治することの難しさを考え、始皇帝と練紅炎、彼らの統一事業の違いをみていきます。この統一の難しさを乗り越えることができたかできなかったかが、統一の失敗と成功の分岐点になったと思います。

 国家を統一する難点...、彼らの事業成功の分かれ道になった点とはずばり「文化・思想の統一」です。

 国の統一とはただ軍を進めて敵国を滅ぼすだけでは終わりません。国境をなくしても、同じ国に属するという意識を国民が共有できなければ平和に治めることはできないのが世の常です。

 「マギ」の練紅炎も「キングダム」の嬴政(始皇帝)も他の国々を滅ぼして一国に統一する武力は持ち合わせていました。嬴政は最強の軍団を以って中華統一し事実果たし、紅炎の煌帝国軍も大陸の半分近くを支配することには成功しシンドバッドの策略にはめられることがなければ世界を統一できる可能性を十分に備えていました。

 十分な武力を持ちながら一方は夢をかなえて、一方は道半ばで終わった。結果が別った違いは多々あります。そもそも作品と世界観が違いますから一概には論じられません。
 ただ唯一、両者の成功・失敗を分かった要素で比較可能であるのが「文化・思想の統一」という側面だとぼくは思います。

 中国の法家の始祖の一人に李斯という人物がいます。「キングダム」作中で彼は、仮に中華を統一できたとしても単純に国民の数が増えたという認識で法作りをすると大失敗すると語ります。その理由は中華の秦以外の六国それぞれが文字も違えば秤(長さ・重さの単位)、貨幣、思想も異なるからで、たとえ国境をなくせても文化がバラバラなままでは国もいずれバラバラになって統一は失敗するといいました。

 「キングダム」で描かれたこの考えは「マギ」にも出てきます。
 練紅炎の弟、練紅明は占領した国に対して文化の画一化を施行します。その国を象徴する都市の街並みを中華風に塗り替え、制度も文化もすべて占領される前のものを消して煌帝国のものに上書きします。

 風景や法律などの目に見える部分だけでなく、煌帝国は占領した国の歴史も改ざんしました。煌帝国に占領される前に存在した国など”なかった”と子供たちに教育し、自分の国は大昔からずっと煌帝国だったと思い込ませるのです。
 武力で全世界を統一し文化の統一と偽りの教育が為されれば、世界に国境があるという概念そのものが消滅して永劫に戦争が起こらなくなる。練紅明はこのような野望を思い描き、強引な文化統制を行っていきます。

 しかし、その文化統制が他国にとっては大きな脅威に映ります。奴隷を禁止していた国に奴隷制をつくり、自由商売で栄えた国は帝国の管理経済のもとに置かれることを恐れるでしょう。自国のアイデンティティを奪われることほど恐ろしいことはありません。だから煌帝国は後ろ盾となっていた魔導士組織「アルサーメン」が倒れると、シンドバッドの七海連合に包囲されて統一の野望が潰えることになりました。

 始皇帝は中華統一後、法や貨幣や文字などの統一を李斯とともに実施していきましたが、それが理由で統一事業が失敗に終わったということはありませんでした。文化を統一するといっても、それは煌帝国がやったような劇的なものでなく、議会で新しい法律が施行されるくらいのことであったと思われます。もちろん焚書坑儒という、自身の考えや法治国家と相容れない思想を封じ込める強権的なやり方もしましたが。

 国が分かれていたといっても「中華」という共同体意識を当時の人々は持っていただろうと思います。春秋戦国時代になる前は、商や殷・周といった一国に中華が治められていたという歴史があり、始皇帝の中華統一は分裂した中華を再び一つにする事業であったという見方ができます。いってみれば日本の戦国時代と表面は同じです。数多の国々に分かれて法や度量衡は異なっていましたが、同じ「日の下」という認識はありました。だから天下統一がなされたのです。統一のために行われた文化や法の画一化に苦労は伴ったと思いますが、秦が行った改革は江戸幕府初期に行われたことと同様の規模感であったと考えられます。

 「マギ」で煌帝国が中原統一をできたのも、統一する文化の差異が小さかったから達成できたと分析すれば辻褄があいます。そして、中原より外の国々を統一するとなると文化の差異は大きくなり、それと比例して他国からの警戒心が膨れ上がるため統一の難易度は爆発的に上がります。何より、世界が流す血と他国の人々が受ける心の傷は計り知れない規模になります。

 つまり、練紅炎が目指した統一は他国を滅ぼして自国の文化に染め上げるという、外側に対する動きでした。一方、始皇帝の統一事業はかつて一つに固まって分裂した共同体を元通りに戻すという、内側に対する統一の動きだったと考えられます。
 シンプルにいうと、他国への侵略戦争だったか分裂した国をまとめ上げるための戦いかの違いです。そこが両者の最も大きな違いだったと思います。

統一が招いた悲劇  ~ 朝鮮併合 ~

 練紅明がやったような文化の画一化は当然、実際の歴史を参考に描かれています。その例の一つだと思い当たるものに、戦前の日本が行った朝鮮支配があげられるでしょう。

 1910年、大日本帝国は朝鮮を併合し、朝鮮半島全域を日本の領土の一部としました。
 統治にあたり、朝鮮を日本化するために「皇民化政策」と呼ばれる文化の画一化が施行されました。その政策のひとつにあったのが「創氏改名」。朝鮮風の名前を改め、日本人としての名前を名乗るように朝鮮の人々に強いました。
 また日本語を公用語に定めて、基本的に外では日本語を話すことを奨励しました。特に学校では日本語で授業がされたため、子供たちは言葉を不自由なく使えるようになりました。

 日本が朝鮮半島を統一していたのは1910年から終戦の1945年まで。実に35年もの年月です。皇民化政策は徐々に浸透して、日本統治下で生まれた世代は日本語をふつうに使えるくらいになります。
 学校で教えられたのは言葉だけではありませんでした。日本人としての民族意識も教えらえました。教育勅語や国歌をはじめとした天皇の言葉が当時の日本人の思想の核でした。それらを通して天皇に対する忠義と礼儀を教育します。

 こうやって朝鮮と日本の違いを限りなくなくしていこうとしたのです。

 しかし、朝鮮の人々は自身のアイデンティティを忘れない努力をしました。朝鮮語を子供たちに教えて、家ではそれを話すようにさせ、チマチョゴリをはじめとした服飾も周囲から冷たい目で見られても身に付けました。
ご存知のように日本が第二次世界大戦に敗戦すると朝鮮は解放されます。冷戦構造によって北と南で国が分かたれてしまいましたが、朝鮮の言葉と文化は守られてその歴史が途絶えることはありませんでした。

 日本が朝鮮を支配した名残は今の時代にも残っています。在日コリアンと呼ばれる人たちがその典型例です。彼らの先祖は終戦時の混迷のなか、朝鮮半島に帰ることができず日本に残ることを決めた人たちです。昔住んでいた家があった場所が日本人の入植地にされて帰る場所がなくなったり、故郷の村が北朝鮮の一部になったりして帰るに帰れない人たちがたくさん出ました。
 当時の朝鮮の人たちの多くは日本人の名前を持ち、日本語を生活の中で使っていました。だから終戦後の混迷を生き抜くために日本に残ることにした彼らの決断は突拍子のないことではなく、彼らの意識の一部に日本人的な部分がつくられていたから発生した必然の選択肢だったのです。

 残念ながら今の日本には在日コリアンの方々を中傷する言説が出回っています。彼らが日本にいるのは、かつて日本が朝鮮を統一していたからです。彼らの領土だけでなく、文化や言葉を通じて彼らの心の中までを日本に統一しようとした歴史の名残です。

 彼らを日本で生きるような運命をつくったのは日本です。日本が朝鮮の人たちを日本に寄せたのです。だから日本で生きてきた彼らを日本人は絶対に追い出そうとしてはいけないとぼくは思います。

 このように他国を統一する過程で起きる文化の画一化はたとえ未完成でも色濃く後の時代の人々の運命にまで影響をもたらします。
 だからどんなに昔のことでも他国を征服して統一しようとした国は、それは日本だけでなくイギリスやフランスやドイツなども同じで、かつての行いを忘れずに変えてしまった運命の結果を受け入れて目を逸らすまねをしてはいけないのだと思います。
 それがいまの同盟による平和をより強固にしてくれるとぼくは思います。

さいごに ~諸行無常を受け入れて~

 ながい歴史のなかで人類は数えきれない数の戦争をしてきました。戦争をなくす手段として他国と同盟の契りを結ぶか、攻め滅ぼして統一するか、国家の代表者たちはそのどちらかを選ぶことで戦争を終わらせて平和を導いたり、戦争を激化させたりしてきました。

 いまの世界は同盟と経済活動によってまとまっているおかげで国家規模の戦争は起こりにくくなっています。

 いま世界で起きている悲惨な戦争のほとんどは国家対国家の戦いではなく、内乱です。ひとつの国の中で思想や派閥によって勢力が分裂して、つぎに国を治める側を決める戦いをしています。これは今回のはなしでいうところの、「統一」のための戦いです。カタールやシリアのような激しい戦いでなくとも、イスラエルとパレスチナ自治区/中国と新疆ウイグル自治区のように、マジョリティがマイノリティを文化統制や経済的な手段でゆるやかに侵略して一国としてまとめようという動きもいまの世界にはあります。

 いま起きているこのような「統一」のための戦いは本当に平和へ向かうものなのか、ぼくは疑問を持ちます。現実を残酷にし、人々の悲壮を増幅させるばかりではないのか。

 この文章のなかで「同盟」・「統一」、この二つの軸から国家や統治などについて考えを巡らしましたが、実際の現実はそう単純なものではありません。
 だけど「同盟」と「統一」、平和に近づくためにどちらの考えを持っても、決して変わらない真理があります。

 それは、永遠につづく平和はない、という真理です。


 「キングダム」作中で李牧に七国同盟を持ちかけられた嬴政は同盟によって一時的に戦争がなくなることを認めながら、「百年後俺もお前もいなくなった中華七国がその盟を守っているという保証がどこにある!!」と強い意志で主張します。そこから嬴政が中華統一によって永久の平和をつくろうとしていることが見て取れます。
 実際の歴史を見ると、始皇帝は後年、部下に命じて不老不死の方法を探ろうと必死になります。自分を特別な人間だと思いあがった傲慢の表れという見方もできますが、中華の行く末を永久に見るために不老不死を望んだのかもしれません。でもそれは、若い世代を信じて託すことができなかったという意味で、悲しく思います。その不信のために不老不死に躍起になった始皇帝は妙薬として差し出された水銀を飲み、寿命を縮めてしまいました。始皇帝の予感はある意味当たっていたのかもしれません。彼の死後、中華の統治は立ち行かなくなり、陳勝・呉広の乱をきっかけに秦王朝は歴史の表舞台から姿を消します。

 「マギ」でもシンドバッドが永久平和に心を向ける姿が描かれます。煌帝国の世界征服の野望を砕いた後、シンドバッドは七海連合を国際同盟と改め、それを中心とした世界をつくります。国際同盟に所属する条件に奴隷制と兵役の廃止を盛りこみ、また各国の軍事の象徴だった魔神(ジン)の金属器を没収して連合の一括管理としました。現実の社会に例えると、先進国が保有する核兵器をすべて国際連合が管理するほどのことで、彼の偉業の大きさがわかるかと思います。

 シンドバッドがつくりあげたその世界で、煌帝国は衰退の一途をたどっていました。国力のパラメータが軍事ではなく経済に取って代わった世界です。煌帝国は奴隷制と兵役制で成り立っていた軍事国家で、仕事や商売もすべて国が一括で配給・管理するやり方で統治されていました。要するに全部が国営の管理経済でした。そのため、民間から活気ある商会が誕生せず、煌帝国は自由経済の競争の波に飲み込まれてしまっていました。
 しかし、巨大な国土と人口を駆使して、新しく生まれ変わった煌帝国はしだいに世界経済の担い手となっていきます。そして、自信を取り戻した煌帝国は国際同盟に頼りきりにならずに進むことを決意し、同盟から脱退する道を選びました。

 その事態をシンドバッドは危惧します。彼も始皇帝同様、自分が築いた平和が永久に続くやり方を模索していました。
 煌帝国の同盟脱退をはじめ、世界が自分の読んできた運命とは違う流れに変わってきている。このままでは今の平和も百年後、千年後にはなくなり再び戦争が起きる。
 そこでシンドバッドは失敗すれば命を落とす、世界の根本を変える神の魔法を試すことを決断し、最も信頼できる腹心のジャーファルにその思いを告げました。

 それを聞いたジャーファルは反論します。「百年後、確かに同盟はなくなり、戦争が起きているかもしれない。でも、そんなこと、知ったことじゃない。それは百年後の人間が正すべき未来だ。」と返し、「築いたものを後の者に任せることに、怯えるな……」と主を諫めました。

 その場では納得したシンドバッドでしたが、最後には神の魔法で永久の平和をつかむことを決めます。その魔法は、すべての人間の思考を自分の思いのままにするというとんでない術でした。シンドバッドは死にかけながらもその魔法を手にし、煌帝国に同盟脱退をやめさせることに成功しました。

 しかし、最後にはアラジンたちに説得されて人間の自由を縛る魔法をやめました。

 「同盟」や「統一」を成立させ、どれほど完璧な仕組みで平和を実現させても永遠にその平和は続きません。諸行無常。世界は常に変わり続けています。偉大な同盟や統一事業もいつかは時代の流れに取り残される運命です。
なにかをつくりあげるにはとてつもなくながい時間がかかりますが、壊れるのはあっという間です。

 平和を壊さないために人間ができるのは、目の前の平和をただひたすら守り、その意思を後の世代に託すことだけです。上の世代が守り築いてきた平和への思いをしっかりと受け継いで実践し、後の世代にもその思いを語り継ぐ。託された世代は時代の変化にあわせて新しいやり方を取り入れながら平和と世界の発展に尽くす。そういう時代を超える努力を人間はしていけなければならないし、それが人間の強みでもあると思います。
 自分たちとは異なる国や地域とつながる同盟。
 分裂して乱れた国を再び一つにまとめる統一。

 平和のためにどんな方法がとられるかはその時代その場所の人間次第です。しかし、実現された平和を永久のものにできるかどうかは、いまを生きる私たちみんなにかかっている。
 そうした当たり前でありながら、つい頭の隅に隠れてしまう大切な考えをこの二つの作品は思い出させてくれます。

 興味がありまだ読んだことのない人は是非手に取ってみて下さい。絶対に後悔はしませんから。
 こんなに長くなるとは思っていませんでした。最後まで読んでくださったかたは本当にありがとうございました。

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