大海に浮かぶ一隻、陸上の道理を知らず ~小林多喜二『蟹工船』を読んで~

 それらしくつけたタイトルは「井の中の蛙大海を知らず」の意味合いと大して変わらない。ただ小林多喜二の『蟹工船』を読み終えたとき、ことわざを捩ったこのへんちくりんなフレーズが頭の中に浮かんだのだ。北海の沖に浮かぶ蟹工船で起こった出来事は、遠く離れてしまった陸上で営まれる人間の日々の生活と一線引いた地獄と化していた。この作品は海の上の地獄の光景を陸上に運び、後の世の人たちの目にも留めるために著者が心血注いで描いた貴重な記録だと僕は思った。

 小林多喜二の『蟹工船』と聞くと労働者の闘争、難解な古典、いつの時代の話?など、手に取るのをはばかりたくなるような印象を持つ人が多いかもしれない。僕が子供の頃にいっときブームになったと聞いたことがあるが、今こそ再びブームが発生してもいい作品だと思う。これは今の日本で働く人たちの共感を誘うに違いない一冊だから。
 僕は学生生活というモラトリアムを終えて、今年度から社会人として働き始めた世間知らずな若造だ。世間というのを少しでも知るため、学生時代の友人から仕事の話を聞くとドラマみたいな信じられない話と遭遇することが珍しくない。
 男性上司からのセクハラ。漢字が読めない同期。顔を合わせる度に舌打ちをするおじさん。プロジェクトの説明無しに単純労働だけを命令する職場、そこで訳も分からず手だけを動かして叱られに叱られ続け最後には心が壊れた。
 数え始めたらキリがないからここまでにしておく。要するに職場でのおかしなことはあるあるだってことに気付いた。業界文化や企業風土という言葉を隠れ蓑に、職場という世間からある種隔離された空間は歪で度を超えた事象が起こりやすい。昨今はその蓑が取り払われ、白日の下にさらされることが多い。長時間労働、ブラック企業、過労死、安全性検査のデータねつ造、外国人技能実習生の現状……
 小林多喜二がこの作品で描いているのもニュースでしばしば紹介されているような、職場のおかしさや道理に合わない働き方の問題で、つまりは今の僕たちの身近にも横たわっているテーマだった。多喜二の場合はそれを描く舞台として蟹工船を選んだに過ぎない。

 蟹工船とは北洋で捕獲したタラバガニを捕ったそばから戦場で缶詰加工する工船のことだ。小型船を搭載しそれを海に降ろして底刺し網でカニ捕り漁をする。1920年代に国家産業として栄えて北洋漁業の主役となった。蟹工船は日本帝国の威信をかけた巨大な船なのだ。物語は函館からの出航場面から始まり、終始船の上で進んでいく。
 難解な点を挙げるとすれば、物語の情景のほとんどが船と、船から見える空と海だけだということだ。普段は目にできない光景を文章を通して想像するのは言うまでもなく、小説を楽しむ中で欠かせない部分だ。しかし、この作品の舞台は海洋に浮かぶ船。それだけだ。同じ景色ばかりでも退屈を感じさせる訳だが、蟹工船は言ってみれば昔の工場船で、私たちが思い浮かべる船とは構造や雰囲気がだいぶ異なる。注意して描写を読んでもなかなか想像を浮かべにくい。
 難解な点はもう一つある。それは登場人物に名前がないという演出だ。例外として「宮口」と「山田」という名持ちの人物はいるが、物語の中心に出てくるわけではない。基本的に登場人物は「学生上がり」、「雑夫」、「漁夫」、「監督」のように職業・身分で示されている。読んでいると、選手の名前を一人も知らない状態でサッカーの試合を観ている気分になる。選手やボールの動き、試合の展開に心を弾ませられるけど名前を叫んで選手を応援するような熱い気持ちにはなりづらい。だからこの作品には『主人公』はいない。著者自身、そう表明している。

 読んでいて少しだけ頭を使った。だけど『主人公』がいなくてよかったと僕は思えた。きっと多喜二が作品で描きたかったのは、過酷な現状と向き合う個人ではなく、過酷な現状に押し潰されそうになりながらそれでも人間らしく生きようとする『労働者』という職業・身分であるからだ。
 段々と小説ではなくNHKのドキュメンタリーを観ている気分になってくる。船の中で働いて生活する労働者を映したドキュメンタリーだ。実際、この作品は船内の労働者の実情を取材した上で創作されている。描写が現実を殊に反映しているから、身に詰まる思いになる。『蟹工船』は物語を映した一冊ではなく、現実を映した一冊なのだ。
 その現実を映す多喜二の描写力も素晴らしいと素直に感じた。特に難しい文体ではなく、流れるようにきれいな文章で描かれている。古典のような読みづらさは全くなくて、現在の作家が書いた文章と言っても遜色ない。多喜二は水彩画を描くのを好んだ人だったそうだ。だから情景描写も緻密で色彩豊かだ。基本的には船から見える描写だけなのに、画廊をくぐって一枚一枚絵を見るような楽しさがあった。また、この作品では多彩なカットを組み合わせて編集する「モンタージュ手法」など、映画的な描写が取り入れられている。それを意識して読むと確かに映画や漫画のような映像を浮かべられる。ドキュメンタリー風な演出はこの描写手法が下支えしているのだ。
 このような演出と描写センスが船上の『労働者』を如実に描き出している。人が住む場所から遠く隔離された蟹工船の労働は道理や倫理からかけ離れた悲惨さだ。労働者は人間としての権利や自由を無視され、『監督』の所有する家畜のように扱われる。罵倒脅迫パワハラなんて日常茶飯事。過労で倒れる仲間も出てくる。だから彼らは生きるために闘った。
 彼らの身に降りかかったことは今の時代に働く私たちと無縁ではない。冒頭で言ったように、世間から隔離された会社内でおかしなことが起きるのがおかしくない現実だ。苦しい働き方を強いられている人や、人間関係に悩んでいる人はたくさんいる。私はこの作品を読んで、苦行や不利益な支配を弱々しく受け入れてしまっては自分が死んでしまう危機感を思った。闘わねばと思った。それは会社に対して労働闘争を起こすということではない(場合によってはそれも一つの手だが)。どうすれば自分が死なないで生きられるか考えることだ。やり方は色々ある。仕事をやめるでも、仕事のスキルを磨くでも、行政や司法、その他団体に頼るでも、プライベートで友だちや恋人と過ごす時間を増やすでも、なんだっていい。なんだっていいから何かを考えて行動する。
 その一歩を踏み出す原動力をきっとこの作品は与えてくれる。
 もしも自分のいる場所が大海に浮かぶ船の中みたいだと感じているならば、なおオススメしたい。船を出て大海に漕ぎ出すところから人生がまた動き出すかもしれない。

(参考文献)
小林多喜二「名作旅訳文庫1 小樽・函館『蟹工船』」JTBパブリッシング、2009年

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