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コロナ禍による長かった鎖国政策も終わり、日本を訪れる外国人観光客が増えています。街中でもスマホを片手に道に迷っている外国からの方々を多く見かけます。
外国人にとって日本は清潔、日本人は親切というのが一般的な見方。これ自体、日本人としては誇らしいのですが、日本に住んでいる外国人の見方は必ずしも同じではないようです。
 
 道に迷っている外国人を見かけたら声をかけられますか?
外国人に話しかけられた時、目を見て話せますか? 


▶日本は大好き、でも言葉の壁が生むマイクロアグレッション

私の夫はアメリカ人で、日本に住んでいます。夫をはじめ日本に暮らす外国人の多くが一様に驚き感動するのが、「日本の社会がいかにきちんと機能しているか」―街が清潔、電車が時間通りに運行する、宅配便が時間通りに届く、郵便局や役所の職員が丁寧、落とし物が出てくる(夫は3度新幹線の車内にiPadを忘れましたが、いずれもきちんと手元に戻りました)などなど…。多くの人が「一度日本に住んだら他には住めない」と口を揃えます。
 
一方で住んでいるからこそ日常的に起きるマイクロアグレッション(無意識の偏見)には日々悩まされているのも事実です。
 飲食店のメニューは、料理のカテゴリーは英語表記でも肝心の料理名は全て日本語というのはよくある話。店員さんに日本語で話しかけても目をそらされる、できれば関わりたくないという態度をとられる(少なくとも当人はそう感じる)。先日は東京のとあるアメリカ系スポーツジムでスタッフに英語で話しかけたところ目を合わせてもらえなかったといいます。スタッフの方は咄嗟のことに反応できなかったのかもしれません。外国人を相手に怯んでしまったのかもしれません。でもそのジムは外の看板に英語でメンバーシップ料金を表記し、“Welcome!“と大々的に謳っているのです。英語でコミュニケーションが取れると思うのも無理はありません。

さらに言葉の問題より厄介なのは態度、ボディーランゲージです。日本に住む外国人からよく聞くのが、「見かけが外国人というだけで身構えられる」「満員電車で座っているとなぜか自分の隣だけ空席のまま」という話。アイコンタクトが最低限のマナーである彼らにとって「目を合わせない」=「無視」=「自分の存在が否定される」ことを意味します。駅で、お店で、レストランで・・・こうした小さな「無視された感」は一つ一つは小さなことでも、澱のように心の中に積もって「自分は歓迎されていない」意識が芽生え、やがて「日本嫌い」へとつながっていきます。
これって日本人としてとても悲しいと思うのです。 

▶SDGsと英語―Englishes という考え方

これまで日本で英語はグローバル化とともに語られてきました。そして昨今、英語はSDGsの視点からも語られています。 
上智大学言語教育研究センターの藤田保教授は「SDGsが英語をどう変えるか」という論点でWorld Englishes という考え方に注目しています。

全世界が一致協力してSDGsに取り組むために「共通語」は不可欠であり、現状でその地位に最も近いのが英語であることも間違いありません。(中略)
ポイントは、「Englishes」と複数形になっていること。英語圏以外の人々は、ネイティブから見れば多少の発音の違いや文法の乱れがあっても、互いの意思疎通は可能なそれぞれの「English」を、有効な道具として使おうというわけです。

(読売新聞オンライン 2022.2.1 掲出)

発音や文法に自信がないから笑ってごまかしたり、思わず相手を避けてしまったり。。。日本人にありがちなそうした態度は無意識のうちに相手を傷つけてしまっているかもしれません。それはまさに「ダイバーシティ&インクルージョン」ー多様性を認め合い、受け入れ、尊重するというSDGsの精神に反しているのだと思います。
誰だってそんなことはしたくないはず。。。
 
完璧な英語である必要はないのです。「正しく話す」ことはひとまず脇に置いて、「伝える」ことを優先する。多少発音が違っても、文法がユニークでも、Japanese Englishでも、まずは伝えること、伝えようと努力してみること。それがお互いをリスペクトする、SDGsの実践だと思います。



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