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映画を早送りで見られない人

「あんた、私の気持ち分かる?」
「分かるよ」
「うそばっかり。かなしいわ。」

……え?どうゆうこと??
思わず自分が言われたかのように戸惑いながら、「巻き戻し」のボタンを押してしまう。

90分の作品なんだけど、いったりきたりしながら2日がかりで見終えた。
NHKでやっていたドラマ「雪国」である。

このドラマすごく良い。良いというか僕は好きです。

今日もどこかで行われていそうな、「男女の分かり合えなさ」がいかにも普遍的でおかしみがある。
ヒロイン駒子の台詞が絶妙に足りなくて、
「言われなきゃ分からないってことは、言っても分からないということよ」
と見ている僕まで言われているような気がしてくる。


僕はとにかく本を読むのが遅い。それどころか、映像でさえ“見るのが遅い”。行ったり来たりしながら見ているうちに、60分の映像でもだいたい75分かかる。長いと120分かかることもある。まるで僕の部屋のテレビはゆっくり時間が進む相対性理論だ。


ところで、世の中には倍速で映画を見る人もいると聞き、驚き感心している。今、読んでいる「映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形」という本である。

なんでも、今はコンテンツが多すぎるからタイパ(タイムパフォーマンス)を上げるために倍速で見る人が増えたり、「オタク」に憧れなるべく早く「オタク」に近づくために高速で作品を摂取していくのだとか。
実に熱心で勤勉だなぁ、と思う。


先日、オーセンティックなバーで「『るろうに剣心』の十本刀で誰が好きか」という、これっぽっちもオーセンティックでない話題で盛り上がった。

客もマスターもだいたいみんな、小学生の時に風邪をひき学校を休んだ日には『るろうに剣心』を一巻から読み直していたクチだ。会話の随所に作中の登場人物の「名言」が挿しこまれる。

小学生の頃に物語の中で出会った彼らは、ずっと僕らの中で生きていて、「こういう時、きっと彼ならこうするだろう」
と想像することができる。まるで古い学生時代の友人のように。

ちなみに、その場の話題の中心になったのは、天才・宗次郎でも、“二重の極み”の安慈でもなく、佐渡島方治だった。そう、実戦ではいちばん弱そうな方治。
30歳を過ぎると、(大きな組織を辞めてベンチャーに転身した)方治に親近感を覚える。

たとえば「るろうに剣心」を倍速で見ていたとして、はたして登場人物たちがこんな風に自分の中で生きるのか・・・と考えると、ちょっと僕には想像できない。まぁ、物語の人物を自分の中に “棲まわせる” 必要は、必ずしもないのだけれども。


一冊の本なり、一本の映画なりを時間をかけて読んでいると(見ていると)、その途中に日常で出会った些細なことが、その作品と妙につながっていくように感じることがある。

「早送りで映像を見る」ということをずっと頭の片隅に置いているからか、自分は等速でさえドラマを見られないことに気づいたり、あるいは、どうってことないバーでのやりとりが妙に印象に残ったりする。

『映画を早送りで…』を読み終わる前に、ドラマ雪国を見始めた。
ドラマを見たことでこの文書を書きたくなった。この文章を書いているうちにもう一度ドラマを見たくなり、2回目を見ながらこれを書いている。

結局、くだんの本はまだ三分の一ほどを残して止まっている。はたして読み終わるかも分からない。

ただ、そんなふうに色んなものを頭の隅っこから引っ張り出してきては、無理やりつなげていく様な読み方が、僕の性には合っている。

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