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あれから60年・・・

1962年10月アメリカ大統領ケネディーがテレビに出演し、ソビエトがアメリカの裏庭キューバにミサイル基地を作りアメリカに向けミサイル攻撃の準備を進めていると発表。そしてソビエトがミサイルを撤収しなければ、アメリカはキューバに侵攻すると宣言します。

アメリカとソビエト、そして全世界が第三次世界大戦の危機に直面する、緊迫した状況に置かれるようになりました。同時にそれは核戦争を意味します。

これが「キューバ危機」、又は、「キューバミサイル危機」

第二次世界大戦後の世界秩序は、アメリカ中心と言っても過言ではなく、その経緯には、第二次世界大戦終了間際に広島、長崎に落とした原爆が象徴するようアメリカの、核兵器独占にありました。しかしソビエトは、その原子爆弾の他に1953年には、水素爆弾までの開発に成功、アメリカの核兵器独占は過去の出来事となりました。

さらに追い打ちをかけるかのように、ソビエトは人類最初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げに成功、アメリカのプライドを傷つけるのです。いよいよ、核兵器の競争から、宇宙開発への競争へと発展し、アメリカ、ソビエトの両大国は軍備増強の一途をたどることに。

その絶頂を迎えたのが、「キューバ危機」だったのです。

核戦争直前の状況までいった「キューバ危機」は、ソビエトがキューバからのミサイル撤収と、アメリカがキューバ領土に対する一定の保証をすることで、突破口を見つけることになりました。

1959年にカストロが革命を起こし、アメリカと断絶しソビエトの力を借りて社会主義の道を選んだキューバ
そのキューバが舞台となったキューバ危機。

あれから60年・・・


今度は、ソビエト社会主義共和国連邦から独立したウクライナに、ロシアの侵攻が始まりました。

早期解決を願うとともに、前回の壬寅の年(みずのえとら)と同様、第三次世界大戦にならないことを願うばかりです。

60年前、手腕を発揮し戦争を回避したケネディー大統領やフルシチョフ第一書記のように、

あの「キューバ危機」を知る、数少ない貴重な世代の、プーチン大統領とバイデン大統領の偉大なリーダーシップに期待したい!

ウクライナ国民、ウクライナ軍、ロシア軍に、もうこれ以上被害者が出ない事を心より祈りながら・・・


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