2019年年末 成田でグレて除夜の鐘が聞こえない

今更ではあるが年末を振り返る。

2019年12月27日(金)成田でグレる


安心の翼アエロフロートはモスクワからの9時間の旅を終え成田に。降り立つ、苛立つ、いつものお約束。寝不足、ニコチン切れに加え、B滑走路から第一ターミナルまで20分以上のタキシング(地上移動)が追い打ちをかける。何が悲しくて飛行機が陸の移動で時間を浪費しなければいけないのか、それだけの時間空にいれば東京から名古屋近くまで行ける。随分なおもてなしぶりだJAPAN。鼠色の空に、冬というには若干生暖かな空気が不愉快。雪の降らないモスクワといい冬はどこに行ってしまったのだろうか。

このままでは自分もグレてしまう。実際問題成田ーモスクワのJAL便を利用すればA滑走路からすぐに第二ターミナルに着くのだが。宗教上の理由(アエロフロート、シェルメチェボ空港原理主義者)で乗れないので仕方がない。仮に自分がグレたとしたら新潟からウラジオストックまで船で移動しそのあと7泊8日でシベリア鉄道で移動、か。残念ながら時間をそれだけ費やして移動するほど裕福な立場にはない。グレるのも大変だ。きっと全て成田空港が悪い。

成田から都内の家に戻らずそのまま浦和の美容室へ。

遠方ではあるが、20年以上切って貰っている美容室なので他に行く気はしない。最早「お任せ」「適当に」とすら頭を差し出す。

諸事情により他の美容室に行く機会が何回かあったが、初見の美容室では「いかがなさいますか?」などという無粋な(酷く当然だ)質問をしてくるので「そのくらい自分で考えて欲しい」と言いたくなってしまう。

流石にそれなりの大人なので「なんか適当に」といってやり過ごしてきたが、
「前髪をどうしますか」
「揉み上げはどうしますか」
「すきますか、すきませんか」
色々と質問をしてくることがあり「適当」という言葉の意味について思いを巡らせることがままあった。未だに正確にはどこが襟足だか分かってもいないので、そんな会話に適当に答えているとどうしてそうなったという髪型になる。

そう。だから他に美容室の選択肢はないのだ。たとえ遠方だとはいえ。

美容室の隣にあった洒落た眼鏡屋に入り、気になる眼鏡を見つけるが時間も無いので後にする。都内に戻りシャワーを浴びて寿司屋へ。魚介類が乏しいモスクワや中央アジアから帰国するとどうしてもまず寿司を食べたくなってしまうのでこれもまたお約束。

2019年12月28日(土)8年ぶりのスタジオ


8年ぶりにスタジオへ。12月30日にライブが入ったのでその練習だ。オリジナル4曲(今回のライブのために作成、といっても作詞しかできないのだが)、カバー1曲、40分枠というのに2日間のみで何とかする気である。1日目の今日は、ギターと、キーボードとボーカルである自分の3名。完全に音楽をなめているが、自分以外は長らく音楽をしているので大丈夫だろう。それにMCの台本だけは完璧に仕上げてきた。ボーカルをやっているが、そもそもそれほど歌がうまいというわけではない。

練習開始早々トラブル。スタジオですぐに貸せるキーボードがないという。2時間の練習中キーボードはたいして興味もないのに、子供のサッカーの試合を見に来た父親のように所在無さげにしていた。そんな中ギターは、ベースが作った曲のコード進行が難しいと嘆いている。幸先がいい。こんなことでライブができるのだろうか。駄目だろうが明後日にはライブなのだ。

2019年12月29日(日)バンド人口の高齢化疑惑と一条工務店


スタジオ練習2日目。フルメンバーが揃う最初で最後の練習3時間。オリジナル曲4曲を勢いで仕上げ形にする。残り45分。最後のカバー曲の詰めでメンバー一同エネルギー切れを。15年近く前8時間近くのレコーディングをした際に当時一緒にバンドをやっていたベースがやせ細っていたことがあったがその時に似た疲労感がメンバー全員に漂う。とにかく形になったようだが、こんなことでライブができるのだろうか。心配した所で仕方がない。

この2日間、スタジオで練習するバンドが中年以上ばかりだったのは年の瀬というタイミングだったせいなのだろうか、それともそもそもバンドを現役でやっている年齢層が高齢化したからだろうか。女子大生、女子高生の子供を持つ同僚曰く、「今時代はダンスだよ、バンドなんか誰もやらない」と。事実だとすれば物悲しい。

夜。高校時代からの親友3人で飲み会。「明日はライブがあるから早目に帰る」と宣言して酒を飲み始める。

日付が変わって埼玉県和光市。

友人が一戸建てを立てたというのでなんの躊躇もなく自宅のある都内から離れお宅訪問。駐車場にプールを作れるだろう広い敷地の一軒家。冬だというのに暖房いらずの素晴らしい建付け。建築を頼んだ一条工務店がいかに素晴らしいか家を隅々まで案内され、ここの建材がどうこう、あそこの建材がどうこう、木造と鉄筋の違い等々を聞きながら、何で自分は和光市くんだりまできて一条工務店の素晴らしさを学んでいるだろうという疑念がもたげる。帰路のタクシーを捕まえる。

繰り返すが、明日はライブである。

午前4時就寝。

2019年12月30日(月)歌を歌ったのではない、ネタを披露したのだ。


午前9時起床。喉が若干酒焼けしている。辛い。
午後13時10分出番開始。メンバーの素晴らしい演奏技術とMCの台本でなんとかライブを乗り切る。内輪というより部外者がどれだけ楽しめるかが一番大事だと考えているのでライブハウスのお兄さんとお姉さんに感想を聞いた。

「演奏が安定していてこっちとしてもやりやすかったと」と音響をやっていたお兄さん。
「MCが本当に面白かった」とドリンクを売っていたお姉さん。

・・・歌については誰も触れない。

その後、出演メンバーでだらしなく深夜まで飲み続ける。

2019年12月31日(火)除夜の鐘が聞こえない

人生も半ばを過ぎ、年の瀬自体の過ごし方がルーティン化しているせいだろうか、年々年末の高揚感を感じられなくなっている。

夕方からダラダラと酒を飲み初め、まるで興味もない格闘技がテレビに映っているのを眺める(ただまるで興味もない番組でも、一度見始めるとなかなか途中でやめることができない、だからテレビは避けているのだ)。年越し蕎麦を流し込み。22時30分には就寝。最早0:00まで起き年を越す事に何ら意義を見いだせない。

除夜の鐘の音を聞かなかったのは単純に早く寝すぎたからだろうが、起きていたとしても正義の一般市民による苦情によって近くの寺の鐘は鳴らされなかったかもしれない。世間の鐘も突かれすぎて疲れただろう、108つ鳴らしたところで人類の煩悩が消える分けでもなしに。

令和元年の終わり、こんにちは2020年。

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