父との思い出

母から聞く父はひどい男で、私の父との最初の記憶はそこから始まる。

父は姉と私をかわいがってくれたし、よく遊んでもくれたし、遊園地や公園にも連れて行ってくれた。
なぜか覚えているのは父と姉と私で出かけたこと。
そこに母がいた記憶ない。
多分、母も一緒に出かけていたのだろうと思うのだけど、父との思い出に母の姿はあまり登場してこない。

ただ、母は父のいないところで、常に私に父への愚痴をこぼしていたので、私にとっては間違いなく、父は母をいじめる悪の存在だった。
母にしてみたら、父を悪者にするつもりはなかったのかもしれない。
ただ、日ごろの小さな愚痴をこぼしていただけかもしれないが、良い話は皆無だったので、私の小さな世界の中では、とにかく母は物語の主人公で、父はその敵だった。もちろん、ラスボスは祖母。
(つまり、その頃の私の世界の中では、私は物語に介入もできないただの読み手で、もちろん主人公ではなかった。)

母は私が幼稚園に入ってから近所のスーパーでパート勤めをしはじめたらしい。
物心つく頃から、私は母に合わせて朝早く起きていたから、母の子供相手の早朝愚痴タイムはこのころから始まった。(ちなみに姉は朝にめっぽう弱かったため、この愚痴タイムの犠牲者は私1人だけだった。)
母から聞かされる物語の中に出てくる悪役は、母の職場の人(メンバーほとんど)、祖母、父親戚、そして父だ。
そして、それと同時に私には父に対する不信感が芽生え、それは大人になって自分が別の家族を持った後も大きく育ち続けた。

私、多分この人(父)が死んでも泣かないだろうな

…と、子どもの頃からずっと本気で思っていた。

今思うと不思議でならない。なんで小さなころの聞きかじった話をそんなに長い間信じきっていたんだろう。
母が語った話の内容自体はほとんど覚えていないのに、父への大きな不信感だけはいつまでも自分の中に根を張って、それを疑うこともしなかった。

父が亡くなる前の1か月間、父は救急搬送された病院でいわゆる寝たきりの状態で過ごした。
仕事の終わりに家に帰ることなく父の病室で寝泊まりしていた母は、だからといって介護をするわけでもなかった。

いや、介護をしないというより、介護なんてできる人じゃなかった。
一度だけ母がやった食事介助で、母は効率を求めてスプーンに大盛にした一口分を父の口に次々と押し込み、父は食後すぐに全部吐き戻した。
それからは食事介助は3食すべて私の仕事になった。
その1か月間、私は、
・家
・病院
・息子の学校の送迎
・職場・
・息子の利用福祉施設の送迎
・息子の毎日に組み込まれたこだわりのスケジュール
を、順番に駆け回る毎日で、
今、自分がどこにいるかも、道の真ん中で、自分がどこに行こうとしているのかもわからなくなるようなことが何度もあった。

夜はずっと病室に母がいたが(いるだけで何もしない)
日中の母が仕事をしている間、父の昼食を介助しに病院に行くと、食後、父がうとうと眠り始めるまで病室にいて、少し喋ったりした。
または、食事時間より少し早くついて、眠っている父の横で電子書籍を読んだりもした。

その時間が止まったような病室で過ごす白い空間だけが、その頃の私の唯一の心の拠り所だった。

父が自分の家族のことを、心から思っていてくれることも深く感じた。
母のつまらない愚痴や悪口を、どうして、私は信じてしまっていたんだろう。

父が亡くなる前日、父は側に母しかいなかった時間に
私の名前を呼んで「ありがとう、ありがとう」と言ったそうだ。
その日のうちに、母が私にそう言っていたので、本当のことだと思う。
側に私がいないこと、母に向かっていったことに
「失礼やね」という言葉もつなげて。
しかし、翌日父が亡くなって、親戚一同が集まると、母は
「亡くなる前日に私に『ありがとう』って言ってくれた。」
と、自分を主人公にした美談にすり替えた。
私と父の最後の大切なつながりを、母は自分を周りからよく見せるために
いともたやすく踏みつけてしまった。

子どもの頃に遊んでもらったことと、
父の病室の白い空間だけが、母から壊されることのない、
わずかに残った父と私との大切な思い出。

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