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【デジタル保健室】インタビュー前編:立命館守山中学校・高等学校 スチューデントサポーター 大月隆生さん

こんにちは。

インパクトラボ理事・滋賀大学大学院データサイエンス研究科の戸簾です。

本記事では、デジタル保健室に関わっていただいている方々にインタビューを行い、どのような繋がりから、デジタル保健室と関わりを持って下さっているかを紹介します。

インタビューの第二弾として、デジタル保健室の実現に向けた活動に協力いただいている、立命館守山中学校・高等学校 スチューデントサポーターの大月 隆生さんにお話を伺いました。

スチューデントサポーターになるまで

立命館守山中学校・高等学校 スチューデントサポーター 大月隆生さん

現在、私が注力しているテーマは二つあります。一つは、「ジェンダー平等」、もう一つはその手段としての「性教育」です。これらに関連して、若者や子どもたちと直接関わる機会を持ちたいと考えていました。

特に、学校のシステムにおいて、何か新しい取り組みができないかと思案していたところ、山村先生から、保健室の新たな居場所として、サポートルームという場所のスタッフ(スチューデントサポーター(仮))を探していると連絡を受けました。これが、現在の自分に至るまでの経緯です。

実は、その時、私は新卒で入社したばかりで、勤務開始後1週間から2週間しか経っていませんでした。しかし、サポートルームの話を聞いて、そこには自分のやってみたいことを試せると感じ、「ぜひ」と返事をしました。

私が、そのような判断ができた理由は、もともと社会をより良くすることに情熱を持つ人々が集まる企業に就職したからです。普通の企業ではこのように早期に退職してしまったならば、非難の目で見る場合もあると予想できます。退職にあたっては、もちろん会社の方々から厳しい意見もいただきましたが、最終的には温かい言葉で送り出していただきました。また、同期との交流は今も続いており、彼らとともに、自分が関心を持つテーマに基づいて、自身の思いを実現できるように切磋琢磨しています。

実際に会社に在籍した期間は1週間ほどでしたが、入社前の半年ほどの間、自分なりの事業計画やアイデアを練っていました。そのため、企業に対して何かを還元する前に離れてしまったわけですが、私にとっての恩返しは、自分なりのアプローチで、より良い社会を創り上げることだと思っています。

テーマ1:ジェンダー平等

中学までの自分が考えてきた「男らしさ」

私のジェンダー平等に関する取り組みは、大学に入学してから、大学院に至るまで、一貫して考えているものです。

その中心には「男らしさ」「性的同意」に関する問題がありました。具体的には、性的な行為におけるお互いの合意形成や、男性による暴力の防止、ジェンダー平等の実現といったテーマを探究しました。

この関心は、中高生時代の私自身の経験から生まれました。学校での居場所に苦しみながらも、いわゆる「一軍」に属すこと、つまり人気があり、目立つ存在になることに全力を注いでいました。背景の1つには、当時の私が感じていた「男らしさ」の追求がありました。中学を卒業し、さらにその思いは強まり、自衛隊に入隊(陸上自衛隊高等工科学校への進学)することを選びました。

自衛隊生活は、一見すると私に合っているように見えましたが、実際は違いました。周りの生徒たちが自衛官になることに純粋な志を持っている中、私はただ「男らしい」と見られたい、という理由だけで自衛隊を選んでいたことに気づきました。その気づきが、私の中でモヤモヤとした感情を生み「自分の本当に望むものは何か、自分が苦しいのはなぜなのか」という問いへと繋がりました。

結局、自衛官としての生活を続けることなく、普通科の高校に転校しました。

周りからの期待のギャップに悩む

自衛隊を離れて普通科の高校に編入した私は、新たな環境での自分の位置づけに苦しむこととなりました。元自衛官という異色の経歴を持つ私には、その経歴や一見真面目さの典型例のような坊主頭などの特徴から、同級生からの「自衛官らしい外見や振る舞い」という期待を感じていました 。しかし、期待される姿と自分の性格とのギャップや、自衛隊を投げ出してしまったという負い目から、葛藤を抱えていました。

この新しい環境でのストレスが原因となり、私は強迫性障害を患ってしまいました。その結果、家から出ることが困難になる、授業に集中できなくなるなど、学校生活を送ることが難しくなりました。編入から半年も経たずに、私は学校へ行くことができなくなってしまったのです。この時期は、自己放任(セルフネグレクト)に近い状態に陥っていたと思います。

学校が自分の居場所ではないと感じた高校2年の夏

引きこもりからの脱出は、高校のある夏に始まりました。家族は毎日学校へ行くよう促していましたが、学校に自分の居場所がないと感じ、毎日が苦痛でした。時には母が弁当を用意しており、それを持って学校へ行くよう怒られる日もありました。担任の先生からも定期的に連絡がありましたが、結局私は学校へ行くことができませんでした。

この状況に直面し、私は学校と、そこへ行くよう強く促される家が自分の居場所ではないと感じ、そこにいる意味を見出せなくなりました。その結果「家出をしよう!」と決意しました。

当時、自衛隊で働いていたおかげで少しの貯金があり、それを使って家出することにしました。具体的な目的地はなく、ただ自転車に乗って、とりあえず当時住んでいた三重県四日市市内から、海を目指しました。

海に辿り着いた後、迷わないように常に海を視界に入れて進むことにしました。そこから私は、約1か月、自転車で野宿をしながら生活しました。

旅先で出会った様々な人と自分を比較して「生まれ変わった」

家出した後の経験は、私にとって人生観を変えるものでした。最初はただ逃げるためでしたが、旅を通じて二つの大きな気づきがありました。

=============後編につづく=============

Information

デジタル保健室について、詳しくは以下のnoteマガジン、学校ニュースリリースをご覧下さい。

インパクトラボでは、SDGsのスローガンでもある「誰ひとり取り残さない社会」の実現に向けて多様なステークホルダーの皆さんと一緒に活動をしてきたいと思います。


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