複雑な家族がおせちの通販に出る

その日、私は「おせち」の通販番組を見ていた。某百貨店が作るおせちで、中にはあわびや伊勢海老、いくらなどさまざまな豪華食品が敷き詰められていた。

こうした番組の常として、そのおせちを実際の家庭に食べもらうコーナーがある。いわゆるモニターというやつだ。

今回のモニターとなる家族の家にカメラが入り、ナレーションがこう言う。

「〇〇さん家は六人家族。三人のお孫さんに囲まれた元気いっぱいの家族です」

そして、おせちが六人の前に出され、それぞれが一品ずつメニューを食べて、その感想を述べていく。
まずはおじいさんがあわびを食べる。次におばあさんが伊勢海老を、そしてお母さんがタイを食べ、子供たちもそれぞれメニューを食べる。

ここで私は気が付いた。

「父がいない」

父がいないのだ。いや、もしかしたらこの番組の収録だけ仕事の都合で出ることができなかったのかもしれない。しかし、ナレーションははっきりと「六人家族」といった。であれば、今、ここに映っている六人が家族の全てである。

この、「父がいない」という事態はさまざまな想像を喚起させる。
母は子ども三人を連れて、出戻りしてきたのだろうか。あるいは、父が元々居候のような状態で嫁家族と共に住んでいたが、なにか嫌なことがあって出ていってしまったのか。
もしかすると、少し前までは親権の問題で修羅場を迎えていたかもしれない。おせちのことなんて考えたくもなかったし、おせちを作る余裕なんてなかった。そんなある日、ポストに一枚のチラシが入っていることに気付く。

「おせちのモニター、やりませんか」

そうだ、心機一転、おせちのモニターをやろう。家族の再出発だ。これまでいろいろあったが、我々はおせちのモニターをやることで新しくやり直すのだ。

私はそう思うと、心からこの家族を祝福したい気持ちになる。この家族は今は笑っておせちを食べている。それだけで十分じゃないか。きっと、この家族は大丈夫だ。

ところで気になるのは、この父のことである。
どこか遠い場所にいってしまった父は、このおせちの通販番組を見る。本来なら、自分がいたかもしれない番組だ。その幸せそうな姿を見て、父はこう思うかもしれない。

「戻りたい」

そして父は実際に家に戻ってみる。しかし、家族はもう、父を受け入れない。なぜなら、おせちがあるからだ。おせちで再出発を果たした家族に、父はいらないのだ。

おせちの力はすごい。




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