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夏樹静子の『椅子がこわい』は、本当にこわい話だった。

この本のサブタイトルは「私の腰痛放浪記」である。これは小説ではなく、実際に著者が体験した3年にも及ぶ腰痛の闘病記だ。私も腰痛持ちなので、息を詰めるように読み進め、予想外の展開に驚かされた。潜在意識と痛みには相関関係があるのだと思い知らされた1冊である。

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知り合いの編集者に勧められて読み始めたが、さすが作家だけあって、ただの闘病記とは趣が違う。腰痛に苛まれ、整形外科から東洋医学、果てはお祓いまで行う日々を克明に記し、読者を飽きさせない。

著者は、1993年1月から約3年間、原因不明の激しい腰痛、背中に鉄板が張り付いたような痛み、倦怠感、そして、椅子に一時もじっと座っていられなくなるという奇怪な病気に襲われる。友人、知人、編集者など、さまざまな人の紹介や助言を受け、一縷の望みを託して、あらゆる治療法を試してみるのだ。

しかし、そのどれもが不発に終わり、最後には死ぬことまで考える。そこまで追い詰められ、もはや、これまでか、と思ったところで、救世主に巡り会えるのだ。まさに小説のようではないか。

それにしても、夏樹静子という作家の性というか、書きたいという欲求、そのこだわりには脱帽だ。椅子に座ることができなくなっても、腹ばいになって原稿を書いたり、果てはベッドに横になりながら執筆する。キャンセルできない用事のために、タクシーや電車、飛行機の中では、並びの席を取って体を横にし、移動する。

本当に気丈な人だと思う。作家というものは、これほどの精神力を持っていなければ、人の心をとりこにする物語は書けないということなのか。私もライターの端くれで、取材して文章を書いたりするが、ここまでして原稿を書けるかというと、はなはだ心許ない。「だめだー」とすぐに根を上げてしまいそうだ。

この「書きたい」という執着こそが痛みの原因だったとは、思いもよらぬことだった。人の心とは不思議なものだ。表面に現れる意識の下には、本人がまったく自覚できない潜在意識が横たわっている。そのことは心理学の本を読み、知ってはいたが、夏樹静子という作家を通して、改めて認識されられた。

私も腰痛がひどい時期には、鍼やお灸、整体や気功、怪しげな治療法も試してみたものだ。これらの治療法には保険が効かず、大枚をはたいてしまったが、どれもいまひとつ効果を感じることができなかった。

結局、最も効果的だったのは、ウォーキングだった。私の場合、筋肉の弱体が大きな要因だったのだ。そうとわかってはいるが、なかなか長続きしない。しばらく運動を怠っていると腰がうずいてくる。そして、またウォーキングを始める。その繰り返しだ。

著者は、筋肉の弱体が腰痛の原因だと思い定め、毎日、必死になってプールに通い、水泳をする。私のような三日坊主ではない。しかし、そのきまじめさもまた腰痛の遠因だったのではないかと思う。案外、ほどほどがいいのかもしれない、などと言い訳をするから、腰痛から逃れられないのだよなあ。


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