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日常的に創造するということ。【目的を考えず"喜び"にフォーカスするクリエイション】

今年も熊本の地にギタリストのyutaka hirasakaさんが来てくれた。

今回は阿蘇郡産山村にある友人のゲストハウスに泊まりこんで楽曲制作をするという企画。
標高800m超。真夏とは思えないような涼しさと空気の良さ。
友人であり腕利きのミュージシャンmaya muga moeranのゲストハウスは産山村でも屈指の絶景を誇る棚田のすぐ側に位置し、徒歩圏に山吹水源というこちらも名水が湧き出る美しい水源も有し、本当に素晴らしい環境だ。
縁側に座って鳥のさえずりや虫達の声を聞いていると、何だか時間を忘れてしまうくらい。
普通の人はここに来たら、間違いなくゆったり過ごしてしまうような場所だろう。

しかしhirasakaさんは、この環境でも何ら関係なく、制作に没頭していた。
自らが、作ること奏でることは"日常"であると言うように、東京から来たギタリストは、この阿蘇の山小屋でもほとんどそのまま普段通りの時間を過ごしていた。

勿論環境として大きな違いは沢山あるし、やりやすい部分もそうでない部分も多々あっただろう。けれども彼は、美しい自然にも空気にも飲み込まれる事なく、ある種飄々と乗りこなしていたように思える。
もはや関係ないとも言えるかもしれない。
都会だろうと山だろうと、日本だろうと海外だろうと、おそらくhirasakaさんには関係ないんだろうなと、フラットにそう思った。
どんな環境でも、彼は息を吐くように、ひたすらに音楽を作り続けるし、思い立ったようにギターを爪弾く。そしてまたいつの間にか新しいモチーフが組み上がる。
ただそれを繰り返す。それが人生なんだろうな。そこには特別も普通もない。
僕も普段考えていることだけど、hirasakaさんがあまりに自然なものだから、改めて感じることが出来た。いや、考えさせられた。これは貴重な体験だ。

※制作の様子はhirasakaさんのInstagramにアップされています!



制作がひと段落した夜。
産山村産の日本酒(鯉農法無農薬だと!)で乾杯し、少しばかりの打ち上げをした。

いくつかの話をする中で、僕の記憶にしっかりと残っているのは、やはり"音楽の日常性"といった部分だった。

阿蘇の絶景は素晴らしいけれど、都会で、いつもの街でみるいつもの夕焼けも同じように感動できる。何も変わらない風景だけでもエモーショナルな心になれるし、十分に満たされている。音楽作れて、夕日見て、それだけで最高じゃん。
それはこんな話だったように思う。
(微妙にニュアンス違ってたらごめんなさいhirasakaさん)

産山村の絶景と気持ちのよい気候は、それだけで特別で、何だか浮ついた気持ちになってしまうところがある。
でも彼は4泊5日、ただ黙々と湧いてくる喜びを、作る楽しさを味わっていた。とても自然に。
それは東京の一室とほとんど変わらないのだろうなと思う。
yutaka hirasakaという人が多作である理由と、その日常の健やかさを、少しだけ知ることが出来た。

遠くに見えた阿蘇五岳もいつのまにか闇の中。
ひぐらしの声とクロスフェードした夏虫達の囁き。
網戸に集まるコガネムシの親子。涼やかな夜風に杉林のシルエットが揺れる。
この合宿を締めくくる良い夜だった。


何者になるかといった目標然り、未来の理想なんてどうでもよくて、只々今に没入する。
今湧いてくるものを止めず、作り続ける。
これはこれまでの僕のnoteでも何度も書いてきた部分だ。
それを踏まえると、hirasakaさんの日常にはやはり強い共感を抱く。

春先からしばらく、精神的に不調だったが、この合宿の前に少しずつ上向きになり(上向きを作り、かな)なんとかこの日を迎える事が出来た。
蓋を開けてみたら、hirasakaさんの日常は見ているだけで心地よく、ゆるやかに、でも力強く「作りたい!」という力が湧いてきた。
この数日の中で僕の気持ちもかなり以前の状態に近いところまで戻ってきたように思う。
あとは自然に、僕も日常に帰っていくだろう。

豪雨と晴れ間を行き来する、夏の熊本。
こんこんと湧き出る水が止まらないように、僕らは今日も音楽を作る。
ひぐらしをひぐらしたらしめる声が響くなら、僕たちも僕たちの声を見つける。
終わりのない旅の途中なのに、反面それはいつ終わっても全くもって問題ないものでもある。何故なら僕らは既に満たされていて、既に全部持っている。生きているだけで、奏でることができる。

大切なものを改めて学べた気がする阿蘇合宿。
ありがとうhirasakaさん!
また熊本で、東京で、会いましょう!
今日も良い日常を!!


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