人格や器ってコップじゃなくて〇〇だったんだ


なんかピンと来なかった
よくコップに水を注ぐかのように、

人の人格や
キャパシティ、
ポテンシャルを表現したりする

人格が未熟な人、
キャパシティが足りない人、
ポテンシャルがない人は、

生まれ持ったもので、
大きくするなんてできない

コップにたとえてしまうとそんな先入観さえ
覚えてしまう

だから例えば大学受験

「私は絶対に東大なんて受かる頭は持ち合わせてない」

っていう人がほとんどだろう

自分のポテンシャルを甘く見ているのだ
(そんなに努力もしたくないのかもしれないが)

でも実際は、
人格、器、ポテンシャル、キャパシティは
コップのようなものではなかったのだ

では人格とは

これらに共通すること、
それは一朝一夕では成長しないこと、
でも少しずつ日々の積み重ねで大きくなることである

そして多くは、
人との繋がり、
思いやりの交換、
感情の揺さぶり、
脳の刺激により、

徐々に徐々に
その大きさを肥大させていく

1番しっくりくるイメージは
ドラゴンボールの元気玉
である

みんなから優しさをもらって、
みんなからありがとうももらって

そうやって周りの人を大好きになっていって、
またこの世界のために何かしたくなる

そんな想いが、
人格なり、
器なり、
ポテンシャルなり、
キャパシティを育てるんだと思う

根底にこれがある人が、
気づけば人格者と呼ばれ、
気づけば多くの人に頼られ、
人を導いているんだと思う

私は別にそんな大した人間になりたいわけではないが、
人格を元気玉のように大きくさせていき、
より楽しい人生を送りたい

人格や器ってコップじゃなくて元気玉って話でした

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