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【イナカの家と住人のこと(2024)】④体育会系風・その後のゆくへ

前回お話しましたように、
2年生になり精神的に厳しい状況の中、

部活の方では、
球拾いがメインの状態からポジションを決める段階に入っていきました。

そこでまず指定されたのがセッター。
ですが忙しすぎて性格に合いませんでした。(笑)

そういえば水泳のときも(逆三角形体型だったからか)バタフライを勧められたのですが、パワー不足でブレスト(平泳ぎ)に。それが結果よかったのですけど…

何故かみなさんの期待に添えていません。
みなさん私のどこを見ているのでしょう!? (笑)

そうこうしているうちに、
3年生が引退して2年生の時代に。

主要メンバーになってしまったから、さぁ大変。
打って拾ってブロックしてとやはり大忙し。(汗)

バレーは楽しいのですが忙しいスポーツでした。(笑)

ただ唯一自分のペースでやれるものがありまして、
それがサーブ。ホッとひと息つける瞬間でした。
瞬時に自然体になれたので、イメージ先行型の持ち合わせた感覚が働きサービスエースも多くありました。(笑)

その感覚も『私の感覚経験箱』に。


感覚といえば!

ある試合のこと。

会場がとある高校の体育館だったのですが、
その日のプレー中にとてもインパクトの強い感覚(点)をえました。

その自覚はありましたが、やはり深く追求することなくそのまま『私の感覚経験箱』行き。


3年生になり、

進路を決める時がきました。

そしたらなんと!?
『私の感覚経験箱』から、そのプレー中の感覚(点)が出てきました。

実はそれは敷石だったんですね。(笑)


私にはそれがはっきり分かったので、
そのことを両親に伝えました。

といっても、
両親には???ですよね。(笑)

ですが、
それでめでたく希望の高校が決まりました。


その時は自分のことしか範疇にありませんでしたが、
意味不明な動機でよく受け入れてもらえたものです。(笑)

両親には感謝ですね。


こうして思い返せば、
この時が敷石の自覚のはじめだった…かも。


3年生の時のクラスは、
とてもまとまりがあり和気あいあい。

そしてなぜか休み時間になると、例の男子を筆頭に他のクラスの子も集まってきていましたね。(笑)

そんな感じでしたので、卒業式ではみんなで涙。

終わりよければ全てよし♪

人との距離が近く充実した、思い出多い中学生生活でした。


なによりも私にとっては、
意識的に心をみることが始まった意味深い時代ともなりました。


それでは、またね。

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