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プロモデラーの師匠と情けない俺の話 第十二話~師匠に内緒でコンテスト~

数年前から都内近郊などでプロ主催から一般主催まで、模型展示会やコンテストが開催されることが増えて来て誰でも発表したりコミュニケーションをとったり出来るようになってきた。俺が師匠に教わっていた頃はそういった場もSNSも無かったので町のおもちゃ屋さんの独自のコンテストや展示、ホビー誌の大会ぐらいしか色々な人に見せたり評価してもらったり出来る場が無かったが何回かコンテストにも参加したことがある。

その当時一回だけバンダイ主催のコンテストで全国のコンテスト加盟店のおもちゃ屋、模型店、ホビージャパン、電撃ホビーを巻き込んだ大きなコンテストが開催されたことがあった。コンテスト加盟店ごとにバンダイ主催のレギュレーションに沿ったコンテストを店頭で行い上位2作品をそれぞれホビージャパン賞、電撃ホビー賞とした。それぞれの入賞作品がお店の代表としてそれぞれの誌面に掲載されそこから日本一を決める!といった内容だった。

「これはホビー誌に載れるチャンス!」これを知ったときに直ぐに最寄りのコンテスト加盟店を調べた。イエローサブマリン宇都宮店、FKD宇都宮店、FKDインターパーク店、この三か所だった。この時点で実はイエローサブマリン宇都宮で開催されたコンテストには参加経験があり最高六位だった。
イエローサブマリン宇都宮店は当時から猛者揃いだったので上位二位以内入賞は滅茶苦茶ハードルが高く困難を極めると思いどうしても誌面に載ってみたかったので手段を選んでる余裕は無く客層は子供が多くライバルの少なそうなFKD宇都宮店とFKDインターパーク店の二か所に参加した。

結果、この小賢しい計算が功を奏してFKD宇都宮店ホビージャパン賞、FKDインターパーク店電撃ホビー賞入賞を果たし両誌面に小さく載ることが出来た。当然全国的には入賞出来なかった。先日久しぶりにそれを見ようと当時の両誌を探したが見つけることが出来なかったので自宅の家宅捜索は引き続き行おうと思う。

この一件に関して一切師匠には言っていない。師匠はホビー誌の仕事も少ししていたしホビー誌のプロモデラーとも横のつながりがあったので見習いとは言え師匠の弟子としてこんな事でしかホビー誌に載れない恥ずかしさがあったことと、自分の作品を師匠に知られるのが恥ずかしくて内緒で作ったものだったからだ。
この頃から他の事への興味が増えて師匠の作業場への足が遠のいていきだんだんと行かなくなってしまったことが一番の原因かもしれない。ずっと通っていたら恥ずかしくても話せていたかもなんてまたタラレバな事を考えた。

※画像は展示会に参加したときのものです。

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