見出し画像

【自由への大いなる歩み】 書評#103

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、キング牧師です!
ノーベル平和賞受賞者の、人種的隔離に対する歩みついて学びました。

ヘッダーは、ぐるぐるさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

M .L.キング(著) 雪山慶正(訳)
岩波書店 出版
1959年10月16日 第1刷発行

全304ページ
読書所要期間14日

購入先

本書ももちろんバリューブックスさんです!!
社会への貢献具合が半端ない!!
いつもありがとうございます!!

私が本書に出会うきっかけ

私は仕事上、子どもの権利みたいなことを考える機会が多い。
それに対する勉強のプロセスで、人権そのものだったり、子どもとは?ということだったり、自由とは?みたいなことを考えてきた。
その中でやはり、アメリカにおける有色人種と言われる方々の解放運動というものに、そして著者にも行き着くのである。

これはもう避けては通れない。
どうしても通りたい、読みたい!
率直にそう思っていた。

しかしながら本書は、もう絶版しているのか、なかなか手に入らなかった。
新品どころか中古もなかなか出回らない。
ようやく見つけたのは、販売当初の価格よりも高いもの。
それでもやはり、読んでみたかった。

この本の本質

この本は、南部社会を一変させた最近数年間に起こった事件を、この事件に参加した者の一人の立場から説明したものだ。

本書まえがき第1行目

アメリカ南部モントゴメリーで、人種的に隔離されたバスに乗ることをボイコットし、こうした屈辱的差別に対する闘争が開始された。
そして、周囲にいた差別を「する側」の人々をも少しずつ巻き込みながら広がっていく「愛と非暴力の運動」の一部始終である。

私が感じたこと

1点目 〜人種的隔離の最大の悲劇

著者が指摘するニグロ社会の3つの病気と表現されるものの一つが、「教育のない人々の消極的態度」とあった。
著者はこれを「最大の悲劇」と表現したているのだ。

確かに本書に示される事例を見ると、とても悲しい。
詳しくは書かないが、要するに、白人に対し勇気をもって対峙する一人のニグロが、周囲で静観するニグロに対し同調を求めたとき、誰一人としてそれに応ずる者はいなかったという話である。

ある種、生まれながらにしてある劣等感と、それにより自分たちがより虐げられるのではないかという自尊心の欠如が、途絶えがたい真実として無条件に受け入れる姿勢が、身体的差別よりも精神的に彼らを芯から脅かし、人格を自ら貶めていると指摘する。

残念ながら、これが当時の現実か。
いや、現代社会においてもなお、生じうる再現性のある人の行いなのだろう。

例えば日本の学校社会などで起こる陰惨なイジメは、まさにこの構図と根本を等しくする現象ではないだろうか。
「関与すれば、余計にイジメられるのでは?」
「そもそも私には何もできない、してあげられない」と。

著者達が闘った人種的隔離、差別は、まだまだ根絶したとは言い難い現実があるかもしれない。
しかしなお、負けじと闘い続ける人々がいる。
私たちは、ここから多くを学ぶべきだ。
本書の出来事から半世紀以上経ってもなお、多くが活かされているとは言い難い世界。

いったいなにをやっているのだ、私たち人類は。

2点目 〜日本社会における暴力性

著者達は、非暴力により闘った。
まるで、インドにおいてイギリス社会と闘ったガンディのように。
事実、著者はガンディにも大いに影響を受けたようである。

翻って、日本における政治の世界ではどうか?
政党が政党を罵り合い、議員が議員を罵り合い、マスコミが議員叩きまくる。
これは、言葉の暴力だ。
こうした姿を見て、子ども達は何を思うか?
そもそも、見たいと思うだろうか?
思うはずがないと私は思う。

非暴力により、真摯に意見し合うことはできないものか?
日本人は往々にして、自身の意見を述べるのに怒りに任さないと言えないことがある。
怒りに任せた意見は、果たして建設的議論を生むだろうか?
皆無でないが、可能性は大いに低下すると私は考えている。

私のイメージとして、罵り合う国会等での姿が日本における反非暴力のカタチとしてパッと出てきたが、職場において、家庭において、学校において、様々な場面でこうしたことを見聞きするだろう。
それで果たしてどれだけ事態が進展し得るのか?

ここでも私たちは、彼らから多くを学ぶべきなのだ。

3点目 〜隔離を廃止したバスに関する注意

これは、P212以降に示されるものである。
人種的隔離から二グロ市民を守るため、著者は裁判を闘うことになるのだが、心ある良心を持った善良な、というよりはある種正しく職務を全うする裁判官たちが、合衆国憲法に規定される人種差別の廃止を基礎とした判決を出していくことになる。

これに備え、著者たちはボイコット運動の柱となったバス乗車に関し、再び乗ることになった時の心構えを二グロ市民に示したものがこの3点目のタイトルに書いたものである。

全部で、17項目書かれている。
タイトルの通り、「バス」に関する乗り方などの注意事項だ。

しかし、これを読んでいて感じる。
”バス乗車”に限るものでは全くないと。

決して、あらゆる乗り物の種類に対応できるという狭い次元のものではない。
人としての生き方そのものを示していると言える内容なのだ。

私自身、胸に手を当てて考えてみると、
「果たしてこの17項目に恥じない生き方をしているのか?」
と少し、というかそれなりに自信がない。

著者が実践するガンディの「非暴力」に立脚した考え方。

私の見習うべき、注意するべき観点である。

むすびに(まとめ)

ノーベル平和賞を受賞している著者。
そこまでの道のりは、やはり平坦なものではなかった。
生まれながらに差別された中、差別に対してボイコット運動を皮切りに立ち上がり、命を脅かされながら、それでも白人側との交渉の場に仲間と共に参加し続け、闘い続けた。

この間、白人の仲間がいたことを忘れずに書いておきたい。

人が人として扱われていないのだから、どう考えても白人側に非があるはずなのに、それでも認められない、考えを改めることができないのは、人間の性なのか。

人間というものの本質を見つめ、それでもなお非暴力により闘い続ける交渉術処世術
これを学ぶための極めて重要な資料であった。


以上です。

値段が高くても、読む価値として非常に安いくらいだと思える内容でした。
キング牧師たちもさることながら、改めてガンディの偉大さを実感しています。

今後は、ガンディの非暴力に対する思想を勉強していきたいと強く思いました。

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

この記事が参加している募集

読書感想文

もしサポートしていただけるならば、現在投稿の軸にしている本の購入やパピーウォーキングにかかる経費に充てさせていただきたいと考えています。