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人生を真剣に生きるから、「個性」が生まれる。

「普通は嫌だ」「私は変わっているから~」といった、「普通ではない人」に強い憧れを持つ人に出会うことがあります。

反対に、「俺は普通だから」「毎日、普通の生活しているから~」といった、「普通」に強く依存している人に出会うこともあります。

なぜ僕らは、そんなに「普通」を意識してしまうのでしょうか。

一般的には、「何もしない」=「普通」、「変わったことをする」=「普通ではない」というイメージがあるかもしれませんが、僕はそうではないと思います。

誰しも自分の心の中に、「みんなと違っていたい自分」と「みんなと同じでいたい自分」がいて、そのバランスを保ちながら、社会的に脱線しないように、生活を送っていると思います。

だれもが、普通であって、普通ではない。

みんな、誰にでもできることをしているし、誰にでもできないこともしています。

だからこそ、「普通ではないこと」に強い憧れを持つ人にも、「普通」に依存したがる人にも、ちょっとした違和感を抱きます。

「あなただって、普通じゃないところはあるよ」と、言いたくなってしまいます。

しかし、彼らがそう言いたくなる理由も、分からなくはありません。

それぐらい、「自分の普通ではない部分」というのは、自分では気づけないものなんです。

自分では当たり前にやっていることでも、他人にとっては当たり前ではないことは、たくさんあります。

自分にとっては当たり前のことすぎて、気づいていないかもしれませんが、他人にとって面白かったり、おかしかったり、不思議に思うことは、意外とたくさんあるのです。

ただ、他人はそれを見ても、「君、変わってるねー」とは言わないことが多いです。

人間は、自分と違っていることを面白がる生き物なので、相手と自分が異なる場合、その理由を掘り下げたり、もっと質問を投げたくなるため、いちいち「君、変わってるねー」と言っている暇はありません。

むしろ、「君、変わってるねー」で終わらされた場合、もうあなたの話を聞きたがっていない可能性の方が高いです。

だから僕は、無理に「普通じゃない人」になる必要はないと思います。

「私、普通とは違います!」とアピールするのは、ちょっと痛々しい感じがするし、面倒くさいと思われることだってあります。

「この人、一般的な行動を思い浮かべて、それに当てはまらない行動をとっているなー」というのは、ある程度話を聞いていると、バレてくるものです。

普通じゃない部分を育てたいなら、もっと真剣に自分の人生を生きるべきです。

そうすると、何かしらに偏りが出てきます。

それは、「趣味嗜好」かもしれないし、「皮肉」かもしれないし、「やさしさ」かもしれないし、「言葉づかい」かもしれません。

それが自分らしい個性になるし、自分の武器となるのです。

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