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「怒り」の大切さ

今から20年ほど前、私はニュージーランド/アオテアロアのヴィクトリア大学に1年間、交換留学していた。専攻はマオリ学部。最初の学期ではマオリのアートや歴史を学び、カパハカというパフォーマンスのサークルにも入り、マオリの文化の素晴らしさを体感した。

マオリアートの先生は、今も私の心の師匠だ。

怒りで満ちた講義

休み明けに、私は「マオリの政治のことも知りたいな」と思い、わりと軽い気持ちで「マオリの政治」という講義を選択した。

これが、失敗だった。講義に出ていたのは30~40人ほど。ほぼ全員がマオリのルーツのある学生たち。先生は、開口一番、いかにして自分たちの文化がないがしろにされたか、言語や土地が奪われたか…苦難の歴史を怒りを込めて語った。学生たちも、それに応え、辛かった歴史を一緒に振り返る。毎回の講義が、その繰り返しだった。植民した側の人たちは、2回目からは講義に出なくなり、マオリ以外のルーツを持つのは私1人になった。

正直、苦痛だった。毎週、先生や生徒はこれまでの政治的な動きを振り返り、怒る。その繰り返しだった。「マオリの人たちは自分たちの権利をしっかり主張して、幸せに暮らしているのでは」という私の能天気な前提が毎回くつがえされ、怒りの深さに、自分のなすすべのなさに、絶望的な気分になった。わりと楽天的なタイプの私も、講義のあった日は表情が暗かったようで、オランダ人の友人に「大丈夫?」と心配された。

失敗だった? いや、そうではなかった。

当時、私は思っていた。この講義をとったのは、失敗だったな。と。

でも数年後、当時を振り返ってみたときに「あれは大切な体験だった」と気づいた。先住民族としての歴史を振り返れば、本当にひどいことをされてきたのだから、怒って当然だ。その「怒り」にふれられて、本当に良かった。

あれがなければ、私は自分が見たい「マオリ文化」の形だけを見て「マオリってステキ!」という表面的な理解しかできなかったと思う。それに、先住民族の文化や歴史を学ぶうえでは、怒り・悲しみは避けてとおれない感情だと、身をもって学べた。

何かを知りたい時には、自分の見たいところだけではなく、いろんな側面を見ること。その大切さを、この「失敗」は私に教えてくれた。そして、それは今の私が物事を見る時の大切な指針となっている。

#あの失敗があったから

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