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幸せの光量

 世間からは相変わらず暗いニュースしか聞こえてこない。それでも私は富に恵まれている。運にも縁にも恵まれる。万事うまくいっている。私は夜空を仰いでアクセルを踏んだ。ハイウェイの閃光が冴えたラインを作った。納車されたばかりの真紅のスポーツカーの絶叫音がただ心地よい。

 君には解らない。共同経営者の彼はそう言って私に憐れむような目を向けて去っていった。学生時代の頃からずっと共に日の当たる道を歩き続けてきた。そのめでたいご身分はいったい誰のお陰なのだ!一人になった社長室で私は叫声を上げて彼の辞表の紙吹雪を散らした。

 目を開けられないほどの眩しさ。止まない歓声。この妖しい匂いは私がこの中のどの女に買い与えた香水の匂いだろうか。様々な感覚が入れ替わり頭の中を駆け巡る。凍りつくような外気と隔絶されたこのクラブに悪友たち、そして場を華やかに盛り上げる女たちを集めて大人の聖夜を遊ぶ。

 妻の涙声。それに続く娘のすすり泣き。スーツケースの色もまた真紅色であったことは覚えているが彼らの涙の理由は思い出せない。成功者の傍にいられてさらに何を求める。誰もが羨む名門校に入学を許されたのは誰のお陰だ。妻は幸せに輝くのを諦めた指輪を指から抜いてテーブルに置いた。

 どの場にあっても私は必ず中心にいてスポットライトを浴びる。その光量は周りが思うよりずっと強い。そこに立つ者は最も眩しく映るがそこから見える周囲の者たちはごそごそ蠢く影にしか見えない。あまりに残酷で現実的なコントラスト。影は光を引き立ててこそ生きるのだ。

 ピンクゴールドが輝くボトルを高くかかげたあとコルク栓を抜くとまた拍手の嵐。フロアを拭く若い男の目を真正面から見据えながらチップを渡す。彼が拭うそのシャンパンの雫は彼の一日の労働対価ほどだろう。施しを与える者と施しを受ける者。立場の違いが決定的になる瞬間である。

 私に溢れるほど称賛の言葉を投げかけながらも去っていく者がある。だから私は君たちのことを信用できなかったのだよ。結局君たちは利口になれなかった。私を頼りにする者はまだまだこんなにいるのに。私に照らされてこその人生だとこんな多くの者が悟っているのに。 

 側近は無表情に、清算業務を全て終えました、とだけ言い、深々と一礼をして部屋を出た。お前まで裏切るのか!とその背中に罵声を叩きつけそうになるが、そうかすでにその会社さえないのだな。ほの暗い部屋の中に伸びた自分の長い影が私を見下ろしている。

 駅から歩いて帰るのは何年ぶりのことだ。家々にクリスマスを楽しむ灯が見える。どうして今までこの灯が見えなかったのだろう。娘が幼かった頃のはしゃぐ姿を思い出しながらクリスマスソングを口ずさんだ。幸せの灯を目で追って繋ぎながら娘に聴かせてやるように何度も何度も繰り返した。

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