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不必要から生まれるもの

↑前回のつづき

高さや大きさを競うから優劣が生まれる。優れたモノが生き残って、そうでないモノが居場所を失う。それはそれで自然の摂理なのだろうから競いたい人は競えばいい。が、僕は参加しない。

優劣で淘汰されるのが自然の摂理なら、開拓者が生き残るのもまた自然の摂理である。必要に応じるのではない。誰かが求めるものを捧げるより、まだ誰も知らない価値を生み出すほうが全体の幸福度は上がる。

言うほど簡単でないことはわかっている。苦労して開拓した土地にまったく買い手がつかない可能性もある。そんな誰からも必要とされないリスクを抱えながら限りある人生を費やすのは冷静に考えればちょっと正気の沙汰ではない。

そこそこ狂っているのだと思う。
僕にはそれができる。

自分の願望が控えめなのを良いことに思考を自由に働かせられる。役に立たなくてもいい。多少なら自分に災いが降りかかってもいい。だから好きなようにやってみろ。あえて縛りを課すなら「自由であれ」だ。

思考は願望を叶える道具である。その願望が道具に対して自由であることを望んでいる。ゴールを与えずに走らせようとしている。目的は新たな価値を開拓して競争を避けるためだが、結果として別の作用も生み出す。

これは創造性と呼ばれる。

↓次回につづく