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赤い糸

胸を焦がすとか、君のためなら死ねるとか、そういった先人たちのポエミーな恋愛表現に皮肉なリスペクトを感じていた。実際に体験してみると意外に大げさでもなく、素朴で飾らない表現にさえ思えた。そうなると運命の赤い糸も誇大妄想とは言い切れないのではないか。

変わり者の自分が50年も生きて初めて心を奪われた相手が、同じような価値観で生きているようにみえた。非常識な結婚観も彼女ならある程度は共感してくれそうな気がする。

ただの願望だといくら言い聞かせても、心のどこかで赤い糸の存在を信じたがっている。利発な彼女のことだから投資か何かで一山当てて不自由なく暮らしながら、今も一人で僕のことを探しているかもしれない。そんな妄想に取り憑かれている。

もし、赤い糸が本当に存在するなら二人には結ばれてほしい。一度も出会わないまま、別々の道を歩むなんて悲しすぎる。たとえ僕が蚊帳の外だったとしてもだ。

運命的な巡り合わせが現実にあり得ると仮定したところで、それが僕と彼女を結ぶものであるとは限らない。僕の想いと同じかそれ以上の熱量で彼女が別の誰かを想い、その誰かが彼女のことをやはり同等の熱量で想うのであれば二人は結ばれるべきだ。相思相愛には誰も勝てない。

赤い糸は優れた発明だと思う。出会う努力好かれる努力もしてこなかった自分を棚に上げて、全部運命のせいにできるのだから。