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それでも強く優しくありたい

↑前回のつづき

誰もが自立した強さを持ち、周りから心配されることもなく、周りを心配する必要もない。そのうえで満ち足りている他者に対しても皆が優しく振る舞える。そんな強くて優しい世界になればいいと思う。

絵に描いた餅なのはわかっている。聖者の楽園みたいな世界はこの先何百年経っても訪れないだろう。

史実でも物語でもたいてい聖者は生まれたときから聖者であったかのように描かれる。処女懐胎だったり、脇から生まれたり、転生していたりする。特別な人は最初から特別なのだ、と。

気に入らない。

普通に生まれたのだから自分は聖者ではない。だから強くなくていいし、優しくなくてもいい。聖者のような振る舞いが出来なくても仕方がない。

こういう言い訳に見える。弱くて優しい世界を助長している。べつに堕落だとか意識が低いなどと批判するつもりはない。聖者になりたいけどなれないと苦悩する人にとっては救済でもある。それはそれで大切なことだ。

苦しむくらいなら無理はしなくていい。ただ、可能な限り強く優しくありたいと願うのが人間の本質だと理解している。

脆くて傷つきやすい存在に望んでなる人はいない。慈愛の心を持てない人はいても、持ちたくないという人はいない。

↓次回につづく