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汝の敵を愛せよ、と

無理難題を言われても困ります。

聖書の言葉らしいが、前後の文脈は知らずに私見を述べると愛せるならそれはもう敵ではない気がする。そもそも敵とは何かをあまり深く考えたこともなかった。

今現在、敵と認識できる相手はゲームの中にしかいない。倒すと経験値が貰えたり、ステージ進行を妨げる彼奴等のことだ。他に思い当たるのは物語に登場する敵キャラだが、あれは主人公の敵であって僕の敵ではない。

前回の記事で自由を脅かす相手が敵だなどと抜かしたものの、今はそういう存在もとくにいない。過去を振り返ってみると圧が強いというか、グイグイ来る人は苦手でなるべく関わらないようにしてきた。敵とまで呼べるかは微妙。

辞書を引くと競争相手や恨みのある相手が敵に該当するらしい。

しかし、競争のない人生だった。運動会や体育の授業では競争させられたが、やはりゲームの一種であり本気で争うものではない。あいつは敵だ、みたいな感情はなかった。

恨みのある相手も思いつかない。忘れているだけかもしれないが人を恨んだ記憶がない。

聖書に書かれるくらいだから一般的に敵の一人や二人はいるものなのだろう。敵を愛せるかどうかを試すにはまず敵を作るところから始めなければならない。