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優しくなければ生きている資格がない

↑前回の続き

人がそれぞれのやりたいようにできる世界が望ましいと思っている。完全な自由はそれこそ混沌の世界になるので節度は必要だが、制約はなるべく少ないほうがいい。

甘やかし甘やかされるだけのモラトリアムに浸りたいのも自由だし、他人に優しくしないのも自由。親切を押し売りしたい人はすれば良いし、相手にも当然それを拒否する自由がある。

が、実際には一部の自由が阻害されている。

前回まで弱くて優しい世界をやや否定的に書いてきたが、それ自体が問題なのではない。その世界が人々の選択した結果であるならぶっちゃけ全員が幸福でなくてもいい。

人が主役であることが何よりも大切だ。世界は人が作るものであって、世界が人のあり様を規定するのは間違っていると思う。

弱くて優しい世界は弱くて優しい人を量産する。

冷血な僕はモラトリアムに浸る人が自滅するのは自己責任だと考えるが、社会は彼らを救おうとする。救いたい人が救うのは自由だが、そうではなく優しい社会になろうとするのだ。社会には一応僕も含まれている。

それは優しくあれという同調圧力として現れる。優しくありたいとは思うが強制されたくない。また、ときには必要な厳しささえも抑圧されかねない。

↓つづく