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強がってなどいない

自分で言うのも何だが、僕は善良な一般市民だと思う。反骨精神とかないし、法やルールに対して概ね従順である。ただ、良い子になりたいと思ったことは一度もない。自由に生きた結果がこれだった。

なんなら社会が僕に合わせているとさえ思っている。世界に溺愛されているのを感じる。もっと愛してくれてもいいんだぜ。何だこいつムカつくな。

僕が望む自由と社会の目指す方向が一致している。この状況だと社会が課すルールは何の障害にもならない。そればかりか自由を守ってくれる頼もしい味方になる。この恵まれた環境を大した努力もなく手に入れた。

管理する側にしてみればこれほど扱いやすい家畜もいないだろう。これが人為的な洗脳とか矯正によるものなら反抗する気も起きるのだが、飼い慣らされたり、牙を抜かれた事実はおそらくない。僕は自ら望んで家畜然としている。

家畜という言葉には侮蔑の意味合いが含まれていて、自称するにはやや抵抗がある。それを承知で自虐的に使ったが、結局は誰かに見下されようとも自分の心を信じるしかないのだ。

僕は自由に生きている。これ以上の幸福はない。