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自制心の在り処

読書嫌いの僕でもさすがにこの言葉は聞いたことがある。Wikipediaの説明は単語が難しくて最後まで読んでいないが、要するに思考が本体だと言っているんだよね?

もっと踏み込むと、そこそこ深く潜れる論理思考力と50年分の記憶が「僕」の本体だと思う。どちらか一方では成り立たない。逆にこの二つが揃えば「僕」は「僕」たりえる。

そして、思考願望が分離されていると考えるなら、カスタードプリンを食べたがっているのは「僕」ではない。思考ぼく願望を満足させるために食べてあげることもできるし、食べてあげないこともできる。

主導権は思考にある。

甘いものばかり食べていたら身体に障ると考えて自制するのが「僕」の役目であり、ときには大きな仕事を片付けた自分にご褒美を与えるのもまた「僕」の裁量に任されている。

任されている?
誰に?

まあ、願望しかいないだろう。プリンが食べたいと言いながら、それを抑制する権限を思考に持たせているのだ。思考に任せておけば悪いようにはならないと信頼している。

さて、僕は信頼しているのだろうか。それとも信頼されているのだろうか。