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羽生結弦さんの離婚騒動

誰かのためを思う気持ちが別の誰かを不幸にする。この罠は正義感とは別の場所にも潜んでいて、記憶に新しいところでは羽生結弦さんの離婚騒動が挙げられる。

結婚相手の一般女性が実名を公表されて日常生活に支障をきたすほどファンや報道の人らが押しかけたせいで離婚するはめになったのだと理解している。気の毒としか言いようがない。

「男なら離婚せずに守り抜けよ」という彼女の地元の声に前時代的なものを感じる。最初に実名を報じたのも同地域のローカル紙だったそうだ。地元の人を喜ばせたかったのだろうが、価値観が古いというかリテラシーが低いというか会員限定とはいえネットで記事を公開してしまった。

あの騒動で一番悪いのはそれを全国に拡散したメディアだと思う。ローカル紙は過失だが、週刊誌は確信犯に見える。そしてメディアは批判されるとよく次のように言い訳する。

読者が知りたいと望んでいるから。

望まれたことを何でも記事にするわけではないので実際は伝えたいことだけを伝えているはずなのだが、取り憑かれたようにこのセリフを吐く。責任逃れという意識すらなく無自覚な操り人形なのだろう。

公益性という実体のない誰かのために行動している限り、どんなに批判されてもそれが反省に繋がることはない。不幸は何度でも繰り返される。