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僕たちもたいてい豆腐なんですよ。

近ごろ「豆腐メンタル」という言い回しを目にすることが増えた。豆腐のように精神面がもろいことを指す。意味を調べるまでもない、わかりやすい表現である。

ところで、ある時ふと気になった。「豆腐は本当にもろいのか?」と。確かに絹ごし豆腐は力加減を間違えるとボロボロに崩れやすい。一方、木綿豆腐はなかなかの硬さだ。というか炒り豆腐や白和えのような食べ方があるのだから、崩れたとしても何が問題なのか。豆腐をもろいものの象徴として扱うのは、もしかすると無理があるのかもしれない。そう思ったのだ。

■手間暇がかかる

ひとまず豆腐の作り方をおさらいしてみた。ちょうど農林水産省が子ども向けに作ったQ&Aがわかりやすくまとまっていた。

豆腐(とうふ)の作り方をおしえてください。:農林水産省    www.maff.go.jp  

主な原料はもちろん大豆だ。極めて雑に作り方を説明すると、水を吸わせた大豆をすりつぶしてから煮込む。その煮汁を絞って豆乳とおからに分け、豆乳の方へにがりを加えて固めたものが豆腐である。

だいぶ省略したものの、実際はもっとたくさんの工程がある。豆腐を作るのは非常に面倒なのだ。スーパーで3パック100円のものばかり食べているから意識していなかったが、日ごろからもっと感謝して頂くべきなのだろう。そう気づくと、豆腐が柔らかいのも私たちが食べやすいように配慮してくれた結果に違いないと思えてきた。

■柔軟で変幻自在

豆腐の素晴らしさはその自由な調理法にあると思う。おかずによし、味噌汁の具材にもよし。全くスキがない。湯豆腐や冷奴のようにそのままの姿で味わうのもよいが、豆腐が変身した姿である油揚げや厚揚げは、サッとあぶってポン酢をかけるだけで酒のアテになる。そんな多様性も見逃せない。豆腐はもろいのではない、柔軟なのだ。

高野豆腐(凍み豆腐)に至ってはなかなかの硬度をほこる。水で戻す前のものを触ってみてほしい。リアルに「豆腐の角に頭をぶつけて(略)」ができるかもしれない。できないか。ちなみに、高野豆腐が素晴らしいのは出汁をよく吸う点だと思う。グングン良いものを吸収する前向きな姿は頼もしさすら感じる。僕もこうありたいものだ。

事程左様に、豆腐とは柔軟で変幻自在なのである。私たちは、こんなに素晴らしいものをクソ雑魚メンタルの象徴として扱っていたのだ。

■もろいなりに

しかしながら、かく言う僕も自身を「豆腐メンタル」と形容したことは何度もある。芥川龍之介は猿蟹合戦の最後で「君たちもたいてい蟹なんですよ」と言ったが、僕は自分が豆腐のようだと思っていた。陽キャやメンタルお化けを前にすると理不尽さを感じ、肉や魚になれない無力さを味わっていた。

ただ、今回改めて考えてみた通り、豆腐はもろいのではない。柔軟で変幻自在なのだ。ならばもろいなりに、自分はどの姿になるのが一番おいしくなるのだろうか。普段からそう考えるようにしてみた。すると、ギスギスした世の中でもちょっとは笑えるなと思えた。僕のメンタルが劇的に強くなることはおそらくない。ならばせめて高野豆腐くらいの強度と吸収力を目指そうと思う。

■余談

思いのほかカッチカチな文章になってしまった。下手な説法のようじゃないか。まあ高野豆腐もお寺で生まれたカッチカチな豆腐だし、これはこれで。

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