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「技」と「術」を嘘で説明する 〜デザインの秘伝06〜

本のタイトルを失念しましたが... 「なるほど」と思った話をまず。

武道の教え方には2種類の道あって、「一般道場生」「道場の後継者」では、そもそも練習の入りが別れているそうです。

まず、一般道場生は「技の練習」から入ります。具体的には「突き」や「蹴り」など体で覚えることが主になります。
それに対し後継者は「術の修得」から学ぶそうです。「術」とは相手の力を利用するために人体について知ること。または、隙を見極めて技を繰り出すためのイメージを養うことなどが挙げられます。
(※ 細かく書いて間違っていたら、怒られそうなのでニュアンスってことでお願いします)
「術」を学ぶことで「技」本来の使い方や、創造性の高い新たな技を生み出す能力を養うことができます。

僕も空手を習っていた経験があるので、なんとなく「技」と「術」の違いを体で覚えた感覚があります。
入門後、はじめは何十種類もの「型」を、ひたすら練習して覚えることになります。しかし、型を覚えたところでそれをいつどんな風に使うのかさっぱりわからないんですね。

しばらく経ってから、ある「型」がどの様に編み出されたのかなど、経緯や背景を聞かされることになります。
すると頭にイメージが広がり、試合でもイメージを応用した動きが出来てしまったりするんです。

不思議な話に思えるかもしれませんが、「技」と「術」は能力を上達させるためには、切り離すことが出来ない要素なんですね。

子どもが「数」を覚える時もそうです。
数字「1, 2, 3, 4...」をただ暗記するだけでなく、指を使ったり、おはじきやサイコロを使ったりと、具体のイメージもセットで学習しますよね。
これも「技」と「術」を分離して覚える学習法だと思います。その方が覚えが早いし後の応用にも役立つのです。

❇︎

さて、タレントの島田紳助さんも以前こんなことを言っていました。

「嘘が上手い人は、頭に映像が流れている。」

嘘の全貌を本当にあった映像のように想像し、ビジョンとしてイメージを持っているということです。

では下手な人はと言うと、演技をしてしまう人だそうです。

演技だけで凌げる嘘というのは、大体がその場限りで終わってしまいます。長く質問されたりすると、どんどんボロが出てきて、辻褄の合わない嘘になってしまうからです。

頭に映像が流れている人は、いつでも映像の内容を説明するだけで、辻褄を合わせの様なことが起こりません。

嘘をつくにも「技」と「術」があると言うことです。

僕らが普段から扱っている、デザインや体験設計においても同じ事ではないでしょうか。はじめは誰でも「技」や「手法」に頼ってデザインをアウトプットしています。
しかし、そのうちコンセプトやストーリー設計が緻密に行われていないと、その場限りのアウトプットになってしまうことに気が付きます。

また、コンセプトやストーリー設計を磨き上げるために、ネガティブなフィルタを通して考えよとしますが、本当はどこまでも鮮明な映像が流れていることが、よりクリエイティブな仕事をするポイントなんだろうと思います。

これは結構難しいと思いますが…

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