見出し画像

技能は伝承できるのか 〜デザインの秘伝04〜

週末は、宮大工の棟梁であった西岡常一さんの自伝を読みました。
世界遺産でもある法隆寺や薬師寺と言った仏閣を、先祖代々と受け継いでいる家系に生まれ、最後の棟梁と呼ばれた方です。
宮大工といえば、口伝で技術と技を伝承しながら、国宝級の文化財を守り続けるお仕事です。

僕らのように、日々、仕様書やエビデンスを重視するような働き方をしていると、考えられないことかもしれません。
しかし、ことデザインの仕事という意味では、良し悪しが伝えづらい技、の伝え方として、転用できる部分が多くあります。
今回は、個人的に印象に残った部分を抜粋して書いてみたいと思います。

教科書からではなく事から学ぶ

西岡さんは、おじいさんから、後継者としての期待を一身に受け、幼い頃から宮大工の現場を、日常的に目にしながら育ったそうです。いわば宮大工のエリート教育を受けていました。

当然、進学も工学校へ進もうと思っていましたが、なぜだか、おじいさんの勧めは農学校だったそうです。
おじいさんの意見が絶対的な家庭であったため、西岡さんは渋々と農学校へ進学することにしました。

入学後、学校の教育方針としては、畑は与えるものの、作物の栽培方法は教えず、本人たちが試行錯誤して作物を育てていく、といったものでした。
それは、おじいさんが職人たちへ向ける育成方針と通ずるものがありました。
やり方は教えず、まず本人がやってみること、手本は見せるが、手解きはしないこと。
知識は知恵を伝うための知識であり、知識だけを身につけても意味がありません。そのためにもまずは自分で知恵を働かせて、体で覚える事が重要だと言う事です。
職人の仕事とは、教わるものではなく盗むものなのです。

木組みは、人の心の組み

不本意ながらも農業を学ぶ西岡さん。
畑では、まず水やりの加減や肥料のタイミングついて研究し、最終的には土にまで関心がいくようになったそうです。
宮大工は、木の癖を見抜く職人でもあります。その木がどんな土で、あるいは、どんな環境で育ったものなのか、を知る必要があります。
畑での学びは、後の宮大工としての人生に大きく活かされることになりました。

また、適材適所と言う言葉の成り立ちにあるように、木の癖を見て、どの木と組み合わせるのかを考え、木組みをするように、同じく人も組み方が大事であるということです。
誰にどんな人を組ませるかは、その癖を見抜く必要があり、心を組むことになる。
これには、表面的な性格や相性をだけでなく、どこでどんな経験をして、どんな志向を持っているのかを、ちゃんと知っておく必要がありそうです。

教えると育てる

農学校を出た西岡さんならではの考え方かもしれませんが、教育とは教えることと、育てることを等しく行うという考え方をすると言うこと。
教えるだけれあれば、繰り返しの訓練を行い、あとは飴とムチを使い分ければ良い。しかし、育てるとは植物のように、水のあげ過ぎや肥料のあげ過ぎには十分に注意が必要であるということ。
本来、植物は放っておいても成長する力があります。飴とムチだけを与えていると腐ってしまう。そこには本人の、人としての成長があることを理解していなければならないと言うことです。

変化はするけど進歩はしない

突然ですが、文明文化と言う言葉をどのように使い分けていますでしょうか?
文明は、世の中が進むことで生活が豊かになったり、街が発展したりなど、精神的にも物質的にも進歩が見られます。
一方、文化はと言うと、文明が発達するに連れて、人の生活様式や表現方法、志向性に変化が生まれていくものです。
文明は発展するほど過去よりも便利になると言えますが、文化の方は進歩するといった概念がなく、昔の文化も、それはそれで良いといった捉え方ができます。

芸術や技術も同じ事だと西岡さんは言います。
建設においては、コンクリートや鉄筋など、技術の進歩が顕著な現代ですが、大昔の建物を解体していると、道具の使われ方や、木組みの技術など、昔の方が優れていることも多いようです。
デザインにも同じ事が言えると思います。1964年の東京オリンピックのポスターと、現代のCGやモーションを使った映像表現と、どちらが優れた表現なのかは判断がつきません。
僕たちデザイナーは、日々の進歩に目を向けながらも、過去の技術も理解して、大事に扱う職業なのです。

最後に

あと一つ良いなと思った部分を、ちょい足しします。
仕事とは労働ではなく、事に仕えることだそうです。
なるほど、事に使えると言うのは、まさにデザイナーの仕事にピタリとはまるフレーズではないでしょうか。
明日からもより良い体験をつくる、原動力になりそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?