頭で腕よ動けと考えてもなぜ動かないのか

思考で「腕よ動け」と念じても動かない
しかし、思考せずとも腕を動かせるのはなぜか

これは、
頭で考えても行動できない、感情で行動が決定される
というのと同じ理由である。

それぞれに脳の機能部位が違うのだ
論理的な思考は、大脳皮質の背外側前頭前野
感情は、大脳皮質の腹内側前頭前野
で処理される。

そして、行動を決定する部位の前帯状回
ここでは、行動を行うかどうかの決定、行動選択の決定が行われる
この前帯状回と結びついているのが、腹内側前頭前野の感情なのだ。

頭でいくら計画を立てる
「次こそは頑張るぞ」
「もうあんな事はしないぞ」
「腕よ動け!」
と思考しようが実際の行動に結びつかないのは、そもそもこの思考の部位が行動を実行する部位には結びついていないからだ。

では、思考、つまり背外側前頭前野は無意味な場所なのか?
そんな事はない
背外側前頭前野は
一時的に記憶を保持する(作業記憶:ワーキングメモリ)
遂行制御(行動に抑制をかける)
認知的推定(将来の予想、相手の感情の推定など)
となくてはならない部位である。

逆に、腹内側前頭前野のみが機能して、背外側前頭前野が機能しないと
目の前の物事に何も考えずに行動を起こすという事が起きうるのだ。
腹内側前頭前野は感情の制御にも関係しているが、それはそれに続く背外側前頭前野での遂行制御とセットになる。

決意を新たにしても頭で考えただけで終わってしまい結局できなかったというのは、脳の機能としては別に不思議ではないのだ。

しかし、これらの腹内側前頭前野の感情や背外側前頭前野を経由しなくても行動はできる。
それは、習慣化され確率された行動だ。
これは、行動経済学のダニエル・カーネマンの提唱するシステム1に該当する。そして、この行動は意識化されない。

身についてない行動は感情というスタートボタンが必要となる。
この感情は、自分が気が付いているか気が付いていないかは必ずしも関係ない。
感情という名前のついた、行動のパッケージリストと考えた方がいいかもしれない。
頭で、「腕よ動け」と念じてもこの行動のパッケージリストにアクセスしていなければ腕は動かないのだ。
あくまでもその「腕よ動け」は行動計画を策定しただけにすぎず、実行するかどうかは別ものなのだ。