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『なぜ日本は変われないのか 日本型民主主義の構造』 日本は組織的家族(日本の歴史)

 本書は「季刊 歴史と文学」に3回に渡り掲載された「日本民主主義の構造」を書籍化したもの。まずは、天皇機関説についてだが、それはピラミッド型天皇制官僚による統治機構を正当化する理論で、われわれは統治の権利主体は団体としての国家であルと観念して、天皇は国の元首として、言いかえれば、国の最高機関として、その国家の一切の権利を総擴し給い、国家の一切の活動は立法も行政も司法もすべて天皇にその大綱の源を発するものと観念するのである。いわゆる天皇機関説は、国家それ自身を一つの生命であり、それ自身に目的を有する恒久的な法人と観念する。

 山本七平氏は戦前の天皇機関説を新興宗教と同じだと考えた。教祖の神格化と無謬性の主張、そしてその根源を日本の神話に求め、その宗団に加盟すれば全員に現実的利益があると説き、非加入者を強制的に加入させようとし、批判者を異端として糾弾し、言論の自由を排撃し、美濃部達吉はこういう国家を「法人」と定義したという。天皇機関説により、議会の役割は重視されるが、議会の統治を受けない軍部の台頭を許し、天皇を絶対視し、犬養毅が5.15事件で暗殺される。この段階から「無謬性を持つ教主=生き神」という通念が生まれてきた。

 本書は、天皇制に関する歴史的な考察が終わると、日本の組織的家族社会という独特な組織の話に移る。組織は常に目的をもち、その目的に対応する正当化が要請される。したがって、その存続自体を目的とすることは許されない。一方家族は、目的を持つ組織ではないから、目的に対応するための正当化を必要としない。それは自らが存続するためだけに機能すればそれで充分な存在だ。自らの崩壊を防ぐことが第一の目的だ。日本の組織集団は、組織的家族であり、軍部もソニーも東芝も同じだという。

 したがって、明治以降、現代に至るまでの最大の問題点は、西欧的正当化と日本的調和を小さくは各組織、大きくは国家において、どのように位置付けるかにあるとしている。「なぜ日本の組織が変われないのか」、それは日本の組織が組織的家族で、自らが存続するためだけに機能すれば充分だからだ、という結論になる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。